神慮に依る「野辺地ものがたり」
第 百四十二 回 「 来 歴 」 宗 左近(そう さこん) 大阿蘇の噴き上げる火山灰が 奈良平安元興建武の武将の収奪殺戮の歴史を ふかぶかと埋めて眠る熊本県菊池郡隈府町の 放ち飼いの若駒の朝日にむけてほとばしらせる 放尿のように爽やかな菊池川の しぶきをあびて腐り傾き沈んでゆく 暗い水呑み百姓の蚕部屋の片隅で 西南戦争の茶色い記憶も薄れた明治二十年 落ちきった紅葉が泥にまみれて汚い冬 間びきそこねの生きのこりの赤ん坊 一人の兄二人の姉一人の妹一人の弟を持つ嬰児 妹と弟のための子守女であり兄と姉との下女である幼女 ために小学校には一日も通わずもっぱら川原の小石を数えてすすり泣き泣き遊び 日が落ちては機を織りながら機のうえに眠りこむ 十二歳より十九歳日清日露の戦争の谷間 長崎市三菱造船所そばの勧工場花売り娘 明治四十四年庶子の一男をうむ 長崎市某所某寺住職植村某の認知するところ 改元して大正の日もあさく不縁 同じく大正五年一男を連れ子して二十歳年長の 流浪敗残の博徒古賀丑之助の妻となり 大正八年五月一日あらたに一男をうむ 母よ これがわたしの知っている わたしが生まれるまでのあなたの歴史のすべてです あなたがどんな娘時代をおくったのか どんな理由で最初の男性と別れたのか どんな恋と夢を持ったのか失ったのか あなたはもちろんあなたのきょうだいの 誰も語ってくれないままにみんな 背をむけてあちらへいってしまった ただ一人兄が残っているのだけれど どうにもわたしは聞きただせないし 兄は兄で語ってくれる気はないもようです おそらくあなたの話のなかにはそこがお墓のなかででもあるかのように 生きている限り兄とわたしがはいってゆくことはないでしょう 母よ タニシのように苦い泥をのんで黙りこくっている 歴代百姓の系列の肉親の突然変異の 特別柔弱であったそのためだけに 子守も下男も田植もできなかったそのためだけに あなたの長崎よもはるかに遠い パリなんぞにさまよっている 母よ わたしはノートルダム寺院の住職になんぞなりたくない ノートルダム寺院を打ちこわして売りさばく古銅鉄仲買商人になってやりたいのです 母よ そのわたしが最後まで打こわさないでおくものを 知っていますか なかびさしにかかる天水おとしのガルグイーユの あのお化け みずから呑んだものでないものばかりを吐きだしている あのお化け あいつを ゆっくりたたきこわしてやりたいのです あいつ自身の身体のなかにしみこんでいる あいつ自身でないものの沈殿した泥を ゆっくり腑分けしてやりたいのです 母よ あなた自身の 誰も知らせてくれないあなた自身の生活が 素通りして流れ落ちるために作られた わたしというお化けを ゆっくりたたきこわしてやりたいのです (*ガルグイーユ:悪魔をかたどった雨水の吐水口のこと) 「 生きる 」 谷川 俊太郎 生きているということ 今生きているということ それはのどがかわくということ木もれ陽がまぶしいということ ふっと或るメロディを思い出すということ くしゃみをすること あなたと手をつなぐこと / いきているということ いま生きているということ それはミニスカート それはプラネタリウム それはヨハン・シュトラウスそれはピカソ それはアルプス すべての美しいものに出会うということ そしてかくされた悪を注意深くこばむこと / 生きているということ 今生きているということ 泣けるということ 笑えるということ 怒れるということ 自由ということ / 生きているということ いま生きているということ いま遠くで犬が吠えているということ いま地球が廻っているということ いまどこかで産声があがるということいまどこかで兵士が傷つくということ いまぶらんこがゆれているということ いまいまが過ぎていくこと / 生きていくということ いま生きているということ 鳥ははばたくということ 海はとどろくということ かたつむりははうということ 人は愛するということ あなたの手のぬくみ いのちということ 「 私の遺言 ― その、断片 からの引用 」 佐藤 愛子 かつて私は 神の存在を信じるか と問われると、 こう 答えていた。 神とは 宇宙の意志、天地創造主としての 存在である。 そういう意味での神を 私は信じる、と。 まあ 見てごらんなさい、この地球上のあらゆる植物、動物、山、川、森、海 ― すべての自然を見れば 神の意志がそこにあると 思わずにはいられない。 なにひとつ 無駄なものがない人体の構造、それぞれの機能が均衡し 調和しているさまを 知れば知るほど、造物主の偉大な計画性と 創造力に感心してしまう。 テレビや図鑑などを見れば、そこには想像の及ばなぬ 珍奇な形や 美しい色彩の魚や鳥類がいて、まさに 造物主は緻密な芸術家でありユーモリストであり、 細心の演出家だと 感歎せずにはいられない。 ( 中略 ) かつての日本は貧しく 世の中は矛盾や 理不尽、不如意に満ちていたが、むしろ そのために人は鍛えられ 耐える力を養われ、強くなりえたのである。 一番の美徳は 自然の摂理というものをわきまえていたことである。自分たちの欲望のままに自然や他のいきものを 破壊しようとは思わなかった。鳥獣は山に、人は里に。 共存を当然のこととしていた。 神の存在を信じ、怖れかしこみ、 感謝した。 ―― その頃、子供たちが清らかで 高い波動を持っていたのは、社会全体の価値観が統一されていた上での、 教育の力だったのだろう。(*波動:意志と情報 と振動数を持ったエネルギーの事) 「 能村庸一氏に捧ぐ 」 葉月 静峰 やさしかった、やさしかった、やさしかった、他人に。 それも とりわけ私に対して…。( 行き届いた 御理解を有難うございました。家内共々 深謝いたします ) 厳しかった、厳しかった、とても 厳しいお方でした、御自分に。そして生きた、喋った、 語った、創った、プロデュースした。 また、歌をこよなく愛した、仕事を愛した、またまた誰よりも妻を愛した、そして お酒を愛した。 声色が上手だった、企画書が上手だった、文章が上手だった。 役者が好きだった、時代劇が好きだった、人生というドラマの主役として、見事に生き切った、最後まで! 因みに、葉月 静峰とは私・草加の爺のペンネームの一つであります。現代詩の代表作の一つのような形で、このブログに掲載するのは不遜ではないか。そんな声が、いつものように何処からか聞こえてこないでもないのですが、誰でもない、この私が畢生の大事業として立ち向かう以上は、このような 我儘も 許されてよいのではないかと、愚考致した結果であります。悪しからずず御了承をお願い申し上げます。