神慮に依る「野辺地ものがたり」
第 二百五十二 回 目 「信じられない、とんでもない話」( 維摩経 による会話劇 ) の続き 1 A 「前回は、私たちの住むこの世は 空 によって支えられ、又、保証されているという所までお話が進みました。今回は、もう少し噛み砕いた説明・解説を 空 に対して試みてみようと思います。もっとも、空性は解説や説明を拒絶していると申しますか、本質的に言葉による表現を超越した、在り方を特色としておりますので、どこまでそれが可能か、はなはだもって心もとない限りでありますが、渾身の力を振り絞って実行致す考えですので、皆様方のご協力と御理解を頂戴出来るならば、これに過ぎる幸いはありません。 前置きが長くなってしまいました。(不可能な)説明を始めましょう」 B 「どうぞ宜しくお願いいたします。私どももあたうる限りの傾聴を実践し、全的な理解を試みてみたいと考えますので…」 A 「まず、空においてはあらゆる奇跡が、其処では起こり得る。空はあらゆる 穢(え、けがれ・きたないもの)を呑み込み、あらゆる浄(じょう、清いもの)を吐き出す。 あらゆるものがそこから出現すると言っても、それは 有 であるような、根源ではない。空とは基底のないこと、とも説かれる。 普通、私達の善悪の行為は、身体的な存在に根ざし、あらゆる欲求や愛着に根ざし、模索を繰り返すに過ぎないような分別は、自らが下す判断に基づくと考えられる。その限りにおいて、基底もあり根源もある。 しかし、それらの愛欲や分別は、もともと「空」であり、基底のないもの。この無基底の深淵から発し、その底を突き破って、あらゆるものが生じ、また、滅している。故に、生死は不可思議であり、生死は「空」である。「空」において人は生き、かつ死ぬ。空気がなくては人々は生き得ないし、水がなくては魚は泳げない。その空気や水に当たるものが「空」である。 人は「空」を意識すると否とにかかわらず、実はそれを呼吸しているのであり、それなくしては存在し得ない。人間の基底となるもの、それが「空」である故に、" 無基底の基底 ” とも言うべきものとなる」 B 「有難うございます。無基底の (基底) ですか、何となく解るような気もいたしますが、般若心経に( 色・しき 即是空 空即是色 )という有名な一節があります。色とは物質のこと、つまり私達の住む 此の世界・有の世界 を指す言葉であるそうですが、これはつまり空、本質・本体・実体の無い世界である、と言います。そして空なる世界がそのままでこの世を構成している。つまり、色はイコール空であり、空イコール色だという意味であります。本質・実体が無いので、在るのは 相互の関係性 だけであると、説明されています」 A 「そうです、その通りです。極めてオーソドックスな考え方ですね。少し補足を加えれば、その相互の関係性が恒常性を持たず、常に変化して止まない。複雑にして大層微妙な関係を保持しながらも、非常にダイナミックに変化し、生成を遂げている。完成も無ければ、消滅も無い。エネルギー保存の法則とは、これら物質界の一面の性質を表現したものですよ」 B 「少しずつですが、空なるものの真相が見えて来ているような気持ちがして参りました。所で貴方様は、お見かけしたところでは、世俗的なビジネスパーソンとお見受けするのですが、真実世界の把握において悟りを遂げた、大聖人も及ばない清浄この上ない境涯に住していらっしゃる。それが私などには、素直には得心出来ない点なのですが、出来れば分かりやすく御説明願いたいのですが、如何なものでしょうか…」 A 「恐縮でございます。最前も申し上げました如く、言葉による説明は不完全なものである以上、黙ってひたすら沈黙を守るのがベストなのですが、せっかくの機会ですので、駄弁を弄する事にほかならないと、承知の上で、今少し言霊のお力をお借り致してみましょう。さて、空は何よりも先ず、単に有的(此岸的・現世的と同意)であるような基底が、否定されることです。しかし同時にそれは、真に「有」を成り立たせるものでもある。つまり、否定において、初めて肯定が真となり、「有」が蘇る。換言すれば、あらゆる肯定は、何らかの否定を媒介にし、否定に即してのみ 真実に肯定 であり得るということ。 このようにして、「空性」はこの様な否定と肯定との、両面を兼ね備えたものなのですね」 B 「あなたのお姿を眼前にして、お言葉を拝聴しておりますと、非常に説得力を感じることができます。改めて、衷心より感謝申し上げます」 A 「ところで、善とな何でありましょうか?そしてまた、悪とは? ごく普通に素直に考えますと、善とは( 命を無条件で肯定するもの )、そして悪とは逆に、( 生命を全否定するもの ) であります。そして更に言えば、理屈上では善と悪とは一如・不二、つまり同じことなのですから、善と悪は同列に並びたっていて不思議は無い。現に私達人間の身体は新陳代謝によって保たれている。古い細胞の死と、新しく若い細胞の誕生との巧妙な入れ替えの仕組みに、支えられている。 悪臭のする汚らしい泥沼から、清らかな蓮の花が咲き出ている。その様に、忌まわしい死の海に浮かんでいる如き、私たちの生命の在り方。視点を換えれば、私たちの有難い生存は おぞましい死 によって支えられ、保証されている。この現実。この事実を忘れないようにして下さい」 B 「はい、貴重な御指摘に感謝いたします。ところで、私は 無尽灯 という教説を以前何処かで耳にした覚えがあるのですが、どうもまだしっくりとは、胸に収まっていない気がいたしますので、今日は貴方様から分かりやすく、丁寧な御説明をお願い致したく存じます」 A 「畏まりました。実に良いタイミングを捉えての、絶妙のご質問です。しかも大変重要な教えでありますので、私の能力の及ぶ範囲で解説いたしてみましょう。 さて、この世は空であり、絶対的なものが無く、相対的な関係性だけが支配する世界でありますから、悪とか悪魔・不正・邪悪などと言った、私達にとって最も好ましからざるものを、私たちの心の内部に設定してみましょうか。 今、目の前に漆黒の暗闇が広がっていると、想像して見てください。そこに小さな実にか細いロウソクの火がともされた。その火はちょっとした風のゆらめきにも頼りなく、今にも消えてしまいそうです。あなたが、善意の誰かが、その小さな灯火を掲げて、隣のロウソクに点火したとします。そうして、このささやかな行為が次々とリレイされて、前後左右に波紋の様に広がって行く様子を、心の中に思い描いてください。どうですか、瞬く間にあれほどに恐ろしげに、無限に広がっていた漆黒の空間が、光の、眩いばかりの明るさで、光明で塗りつぶされていくではありませんか。実に、感動的な情景ではありませんか、如何ですか…」 B 「分かりました、愚鈍な私にも、本当に明快に理解が出来ました」 A 「賢明なあなたにはこれ以上の補足は、蛇足以上の贅物めいて受け取られるでしょうが、無尽の謂れは、最初の一本のロウソクは寿命が来て燃え尽きる前に次々と新しいロウソクが継ぎ足される。その他のロウソクも同様です。私達人間を含む生物たちは、このロウソクのごとくにバトンタッチされて、今日に至り遠い未来に明るい希望の光を投げかけ続ける…」 B 「本当に菩薩の無限の慈悲心を、象徴するあなた様のお優しいお心、痛み入ります」 A 「次々と受け継がれていく火は、無限に増加することが可能です。最初に点火された火は、次に移されたからといって、少しも減少していないことに、注目してくださいな。それどころか、はじめの火は仲間を増やす毎に、輝きを一層大きくさえするのです。その様子は、さながらに喜び楽しさを、全身で表現している。生命の灯火とは、かかる無上に好ましい存在なのですから、このことを強く、強く心に刻み、一瞬たりとも忘れない様に、心がけていただきたいもの」 B 「最後に、これも先生から伺った事なのですが、あなた様には大勢の御家族がいらっしゃるとのことでしたが、その方々は今どちらにいらっしゃるのでしょうか?」 A 「(ニッコリとして)そのことですか、別に秘密になど致しては居りません。家族は非常に多く居ります。ええ、現世だけでなく、前世にも、また過去世にも無数にいます。何故なら、私の一番の血族は煩悩の悪魔に支配される、謂わば魔族 たちだからなのですよ。この世が悪や不正や邪悪に穢され続ける限りは、私は天上世界から喜び勇んで、此岸に、有の憂世に馳せ参じて参る所存であります」 B 「何だか、最後のつもりでお訊きした質問が、またもや大きな問を、呼び込んでしまったようでありますが、ここは一旦、締めということに致しましょう。大変ありがとう存じます」 A 「どういたしまして。先生には、どうか呉呉も宜しく、お伝え願います。さようなら」