神慮に依る「野辺地ものがたり」
第 二百八十八 回 目 庶民の視点から読む 万葉集 ―― その 第 三 章 久慈川(くじがは)は 幸(さけ)くあり待て 潮船(しほぶね)に 真楫(まかぢ)繁(しじ)貫(ぬ)き 吾(わ)は帰り来む(― 久慈川よ、久慈川よ、元気で待っていてくれよ。自分は、久慈川、お前を一番の仲良しとしてこれまで壮健に成長してきた。そして今、長い、長い、波路遥かな旅に出る。でも、決して心配などしてくれるな。俺は必ず元気で帰って来るからな。その帰国の際には、立派で大きな海用の船に、見事な櫓を多数備えて、元気いっぱいに漕いで、帰って来るからな。それまでの辛抱だ。俺もお前同様に我慢して、堪えて、再会の折を只管に楽しみにして、命の限り精一杯生きるつもりだ。久慈川、親友である久慈川よ、どうかいついつまでも元気で、壮健でいてくれ!俺も、お前に負けずに、お前との懐かしい思い出を胸に、辛さや困難を生き抜いてやる。弱音を吐いたりはしない、決して…) 筑波嶺(つくばね)の さ百合(ゆる)の花の 夜床(ゆとこ)にも 愛(かな)しけ妹そ 晝も愛(かな)しけ(― 関東平野に秀麗に聳え立っている筑波山。その筑波山の素晴らしさは日本人なら誰でも知っているだろう。が、その美しい山の懐深くに大切に、秘密に咲いている可憐な山百合の魅力を知る者は、そんなに数多くは居ないだろう。そのすばらしさ、綺麗さと言ったら言語に絶している。此処からはあまり話したくはないのだけれど、それでも言わずにはいられない。黙って自分一人の胸にたたんでおくことは、やはりできない相談だ。だって、だって、これは私だけの秘密の宝物の話なのだけれど、どうしても、語らずには、喋らないではいられない。なぜだって、もったいぶるなといわれても、簡単には口を開くわけにはいかない。けれども、特別に君にだけ秘密を漏らしてあげようか…。さっきの筑波嶺の純粋無垢な小百合の魅力だけれど、表現のしようもなく限りなく魅力的で美しい。でもね、私の妻なんだけど、それよりも何倍も可愛いのさ。勿論ベッドの中だってそうだけれど、昼間だって、遠く離れていたって、居ても立ってもいられない程に可愛く、限りもなく愛しいのさ。限りもなく、限りもなく、愛しい存在なのさ…) 霰(あられ)降り 鹿島の神を 祈りつつ 皇御軍(すめらみくさ)に われは來にしを(― 天の神の怒りを表す如くにかしましい、大きな音を立てながら、今霰が激しく降り敷いている。その実にかしましい霰の音ではないけれども、鹿島に鎮座される御神様に、平穏無事を祈願し、祈願しを重ね終えてから、私は喜び勇んで大和の大王であられる天皇の、勇猛果敢な軍隊の一員として、はるばると陸路と海路との旅を重ねて、辺境防備の晴れの役務に就くために、ここ九州の最果ての地までやって来たのだ。どうして、無事に任務を果たし終えて、懐かしい故郷の村に帰り着かずに居られようか…。石に噛り付いてでも、帰還を果たしてみせる、何が何でもだ) 橘(たちばな)の 下(した)吹く風の 香ぐはしき 筑波の山を 戀ひずあらめか(― あなたは橘という名を知っていますか? そう、高級な柑橘系の果物の名称ですね。橘の、あの何とも形容し難い懐かしい香りは、過去に大勢の人々から素晴らしいと、絶賛され評判は年を追う毎に高まるばかりなのですが…。その橘の木の実がたわわに実っている樹木の下を、爽やかに通ってくる涼風。その一陣の風はこの世の物とも思えず、経験したことのない人には、知らせる術とて見つからない。でも、それですら私の故郷の誇り、名峰の筑波山は、比喩として出したならば、すっぽんと月の譬えの如くにになってしまうだろう。それくらいに文句なく素晴らしい山、筑波嶺の事を、忘れてしまえと言う方が無理な注文だ。わたしは、絶対にあの秀麗無比なお姿を、この目で拝さないではいられはしない、何が何でも、もう一度…) 今日よりは 顧(かへり)みなくて 大君の 醜(しこ)の御楯(みたて)と 出で立つわれは(― 昨日までの私は、自分の過去を振り返り、振り返りして、このままで良いのか、何か反省する所は無いのか。正しい将来や未来の為に改める点、矯正する必要のある個所は無いのか、その他諸々、あれやこれやと後ろを振り返って点検する、反省癖が抜けなくて、女々しく、弱弱しく、頼りない生き方ばかりして来てしまいました。自己反省ばかりに明け暮れしてきた、本当に頼りない、自分で自分が嫌になる惰弱そのもの、といった私なのですが…。今日からは、素晴らしい支配者であらせられる天皇・大君様の、防衛部隊の最前線に立ち、異国からの侵略に備える頑強な御楯として、精鋭部隊の一員として選抜されたからには、その任務に相応しい真に頼もしい兵士たるべく、後ろなど振り返りもせず、戦地に、辺境の土地に、勇んで、勇猛果敢に出発して行くのであります、この私は。……、とは言うものの、心あるお人なら既に私の心の中を、全部見透かしていらっしゃる筈。妻の事、子供達の事、父母を始め兄弟姉妹、親戚縁者、友人知人その他、この世で慣れ親しんだ大勢の人たちの事を、ひと時も忘れることが出来ず、涙に暮れている毎日なのですよ、実は) 天地(あめつち)の 神を祈りて 征箭(さつや)貫(ぬ)き 筑紫の島を さして行くわれは(大意 ― 天地の神を祈って征箭を胡籙にさして筑紫の島をさして行く。私は。) 松の木(け)の 並(な)みたる見れば 家人(いはびと)の われを見送ると 立たりしもころ(大意 ― 松の木の並んでいるのを見ると、家の人が自分を見送るとて立っていたのと同じに見える) 旅行(たびゆき)に 行くと知らずて 母父(あもしし)に 言申(こともを)さずて 今ぞ悔(くや)しけ(大意 ― 長い旅に行くとは知らないで、母や父になにも言わずに出発して来て、今になって後悔される) 母刀自(あもとじ)も 玉にもがもや 頂(いただ)きて 角髪(みづら)のなかに あへ纏(ま)かまくも(大意 ― 母刀自も玉であって欲しい。頭にのせて角髪の中に一緒に巻こうものを) 月日(つくひ)やは 過(す)ぐは往(ゆ)けども 母父(あもしし)が 玉の姿は 忘れ為(せ)なふも(大意 ― 月日は過ぎて行くけれども、母父の玉のような姿は忘れることができない)