神慮に依る「野辺地ものがたり」
第 四百二十 回 目 サンプル・ストーリー その四 「 負けてたまるか、泣いてたまるか 」シリーズ の パイロット篇 『 俺は 天才じゃ なかったのか 』 場所:東京近郊の都市 人物:石田 勇也(作曲家志望)、茜(勇也の恋人)、その他 大衆食堂 夜の九時半を過ぎている。余り広くない店内はカウンターと小上がりの座敷から成っている。この時間は客の数は数人しかおらず、カウンター内の店主兼料理人の女性が食器の洗い物などを終えて、一息吐いているところ。表のガラス戸が開いて勇也が何か嬉し気な表情で入って来た。 茜「いらっしゃーい」と奥から出て来て勇也に声を掛けた。小上がりに席を占めた勇也が、 勇也「ビールを頂戴」と嬉しさを満面に表してオーダーした。 茜「あら、珍しいのね」と一寸不思議そうな表情。「何かいい事でもあったのかしら」 勇也「いや、別に。いつもと変わらないさ」と言いながらも言葉とは裏腹ににやけた表情を隠そうともしない。茜は直ぐにビールとサービス品の摘みを勇也の前のテーブルに置いて、奥の自分の定位置に戻った。やがて残っていた店内の客たちが姿を消し、勇也一人になった。勇也は中瓶のビールを味を噛みしめる様に全部飲み終わると、立ち上がり「小母さん、御馳走さまでした。月末には遅れずに附けの支払いはしますので…」と声を掛けると、一寸茜の方を向いて何か言いたそうにしたが、すぐまた思い直したように出入口に向かっている。拗ねた様にしていた茜は勇也の背中に「有難うございました」と元気のない声を発している。 勇也が姿を消すと同時に、カウンターの中の店主が、「ちょっと早いけれど、今夜はこれで店仕舞いにしようかね」と茜に言う。茜は頷くと店先の暖簾を外して店内に持ち込む。 店主「茜ちゃん、少しあんたに話したいことがあるのだよ」 茜「はい、何でしょうか」 店主が言うのはおおよそ以下のような事だ。茜の恋人の勇也は人が善いだけが唯一の取柄で、生活能力は皆無とは言わないが、余り頼りにならない。今もうだつが上がら無いだけでなく、将来も今と少しも変わらないだろう。この店の常連の一人に関口という初老に近い男が、以前から茜に猛烈な恋心を燃やしていて、勇也の事もあってそれを口に出来ないでいる。関口には大学生と高校生の子供がいるが小さな工場を経営しているので、経済力はある。少なくとも勇也に較べたら、月とすっぽんくらいの違いがある。病死した先妻の後釜にと様々に自薦他薦の候補はいるが、関口本人は茜の事があるので皆拒否している。結婚は理想ばかりを追っていては駄目で、実際に生活して行く生活力が決め手だと、独身生活を余儀なくされている店主は、自分を引合に出して、熱心に茜を口説くのだった。 録音スタジオの廊下(翌日) 或る大物歌手のレコーディングが壁の向こうのスタディオ内で進行している。関係者の内でスタディオに入れないで居る者や、業界誌の記者などが数名ベンチや椅子などに腰掛けて、雑談などをしている。その中に石田勇也の姿がある。 勇也の知人「君は知らないだろうけど、こんな重要なレコーディングの現場に、生で、しかもこんな近くで立ち会えるなんて、滅多にあることじゃないのだよ」 勇也「そうだろうね。実際、信じ難い気持だよ」 時間経過。 レコーディングが全て終了し、スタジオ関係の数人が跡片づけなどをしている。ベンチには勇也と知人だけがぽつんと座っている。やがて、人気作曲家の雛形アキラが悠然と姿を現した。 雛形「大分お待たせしたようだけれど」 知人「いえ、いえ、とんでもありません」 勇也「お名前は兼ねてから存じ上げて居りました。始めてお目に掛かります。石田勇也と申します」 知人「僕が話をしても、信じて貰えないものですから」 勇也「いや、そういうわけではないのですが。余りに思いがけない事でしたので」 雛形「ところで、これからよかったら一緒に食事でもどうですか」 二人は一瞬信じられないと言うように顔を見合わせた。そして「有難うございます、喜んで御一緒させて頂きます」と、雛形に対して最敬礼した。 勇也のアパートの部屋(数日後) 勇也がねじり鉢巻きで作曲に励んでいる。彼の脳裏には様々なイメージが去来している。 ―― イメージの1 彼は何故か日本人でありながらベートーベンそのものになっている。しかも耳が良く聞こえる状態で、自ら作曲したシンホニーを指揮している。演奏が終わると大ホールは万雷の拍手に包まれる。聴衆の方を振り返り静かに一礼する得意満面の勇也ベートーベン。 ―― イメージの2 今度は武道館でのコンサートである。彼は何故かビートルズと共にギタ―を演奏している。そして突然に演奏が止み、ステージの照明も消えた。と、次の瞬間に勇也だけにスポットライトが当てられてギターの独奏が華麗に始まった。陶酔するファン達の、顔、顔、顔。 ―― イメージの3 あの伝説の大歌手・大空ひばりに自分の作曲した曲の指導をしている勇也。一応は無難に歌いこなした女王に、勇也がダメを出す。何故か作曲家勇也には満足が行かない。それで、しばし思案したがやおらピアノを弾いて、「こう訂正しましょうか」と指示する。すると今度は最高である。顔を見合わせて微笑み合うひばりと勇也であった。 元の現実である。畳の上には丸められた作曲用紙が散乱している。疲労の色が濃い勇也であるが、彼の眼の色だけは燃えるように輝いている。 早朝の河原 新鮮な朝の空気を胸一杯に吸い込んで深呼吸する勇也。「これで俺も、ようやく世に出るぞ」と口の中で呟いている。 或る工場の入口(同日の夕方) 門の横で勇也が待っている。やがて例の知人が中から帰り支度で出て来た。二人は駅に向かって歩きながら会話を交わす。 勇也「一週間ほどアルバイトを休んで、作曲に没頭したのだ」 知人「あなたの友人から聞いているが、相当に経済的に苦しい生活を送っているらしいじゃありませんか…」 勇也「それ程でもありません。好きな事が出来る喜びに比べたら、貧乏に耐える事など大したことじゃ、ありません。ああ、これですが僕の自信作です。どうか先生に見て貰って下さい」と徹夜で書き上げた曲の譜面を入れた紙封筒を渡す。 知人「先生も貴男にとても関心を示されていたし、先日のサンプルカセットの曲についても、絶賛されていたくらいですから、間違いなく業界への手助けを、何か有力なきっかけを与えて下さる確信があります」 勇也「心強いお言葉です。どうぞ、くれぐれも宜しくお伝えください」 知人「吉報を期待して居て下さい」 前の大衆食堂(一か月後) 午後二時過ぎで、店内は客の姿がない。そこに憔悴し切った様子の勇也が元気なく入って来る。 勇也はラーメンを注文すると窓際の小上がりの席に座った。茜の方も少し痩せたようで、青白い顔を一層寂しげに翳らせている。やがて注文の品が出来上がり茜がどんぶりをお盆に載せて運んで来た。ラーメンの中味を看て不審そうに茜の顔を見た勇也に、 茜「ああ、チューシューは小母さんからのサービスですって」 勇也は、カウンターの店主に向かって大きく頭を下げた。勇也が食べ終わるのを待っていた茜は、「少し早いのですが休憩を取らせて頂きます」とカウンターの中に声を掛けると、勇也を促して外に出た。 近くの川の畔 勇也と茜はしんみりと会話している。 茜「そうだったの、それはがっかりね。力を落している時にこんな話をするのも何なのだけれども、私もずっと辛かったのよ。小母さんはああゆう思い遣りのある、苦労人だから私達の事を本当に親身になって心配して下さっている。それが分かっているから無下には断り切れないし…。でもね、私ね、きっぱりとお断りする事にしたの。だってわたし、勇也の事大好きだから。どじだ、間抜けだって人は蔭で悪口を言うけれど、わたしはそう言うところも全部含めて、勇也が大好きだから」 勇也「(下を向いたまま)御免。俺なりに一生懸命にやっているのだけれども…」 茜「あたし、無理なんか少しもしていない。今の儘で十分に倖せだもの」 勇也「お前の気持ちが分かっているから、それで俺」 茜「いいのよ、元気で、夢が持てて、頑張って生きているのだもの」 勇也「有難う、本当に、本当に有難う」 勇也が様々なアルバイトの仕事を実に不器用にこなして、上司から叱責を買っているシーンと、食堂で健気に御客の接待をする茜の笑顔などが、交互に描写される。その背後で次の詞が朗読される。出来れば大勢の男女の声であればそれに越した事はないが、勿論、一人の声でもよい。 『 負けるな、泣くな、明日がある 』 ネバーギブアップ 負けてたまるか 太陽が照っている 風がそよいでいる 涙なんか 見せるな 月が笑っている 星も歌っている 泣いてどうする 泣いてどうなる 雨にも負けるな 風にさえ泣くな お天道様が見ている 月の女神も微笑んでいる 負けるな 泣くな また明日が 輝く明日がくる きっと来る 山がある 川が流れる 草もある 木々も繁茂している 負けてたまるか 負けてどうする 明日が来る 未来がある 夢さえも膨らむ 涙などは見せるな ネバーギブアップ 男がいる 女が踊る 人々が輪になる 小鳥が大空に舞う 風が謡う 負けるな 泣くな また明日が 希望の未来が 必ず来る 必ず 来る 《 完 》