神慮に依る「野辺地ものがたり」
第 四百二十九 回 目 「 出世 景清 」 セリフ劇の試作 その2 京都六条河原 尾張・熱田の大宮司の娘・小野の姫が残虐非道な拷問を受けている。梶原親子が命令を下しての水責めが続いている。 小野の姫「もし、皆さん。私は夫の景清に教えられて、清水寺の観音様を深く信仰して居りますので、少しも苦しくは御座いません。夫の行方は存じませぬ」と苦しい息の下から叫ぶ。 梶原景時「さてもしぶとい女だな。この上は火攻めに致せ」と役人に命じた。 危うく薪に火が付けられようとした瞬間に、どこからともなく悪兵衛景清が妻の小野の姫を救助に姿を現した。 景清「待った、待った、ここに景清見参致した」と一同を睨みつけて大声で言い放った。 役人達が緊張して身構える中で景清は堂々として、落ち着き払っている。 景清「(けらけらと笑って)大騒ぎをするな。この景清は逃げも隠れもしない、妻や舅の憂き目を救う為に進んで姿を現したのだ」と、覚悟を既に決めている様子。 小野の姫「のう、景清殿、私や父上は生きていても甲斐のない身。御身は生きながらえて本望を遂げようとはせずに、何故この場に姿を現したのですか。無念に存じまする」と、大粒の涙を流した。 景清「よくぞ申した。あっぱれだと思うぞ。子供までいる仲の阿古屋は夫を密告した。それを汝は命に替えてこの身を守ろうとした。さあ、役人たち、景清を捕縛致すがよい。手出しは致さぬ」 時間経過 知らせを受けて六波羅から重忠が大宮司を同道で駆けつけて来た。 重忠「さてさて、景清、近頃神妙至極、しからば大宮司の父娘は共に赦免いたす」 景清はにっこりと笑い、自ら進んで役人の縄に捕縛された。大勢の見物人は皆一様に景清の潔さに感嘆し感動の色を明らかにするのだった。 六波羅南面に建てられた牢屋 牢内で身動きが出来ないようにと、景清は手足の自由が利かないように厳重に確保された上に、髪の毛も七つに分けて上下左右に結いつけられている。景清は少しの身動きさえ出来ない状態で、大勢の見物人に晒し者にされているので、番人や警護の役人などは一人もついていない。 今、近くに宿を取った小野の姫が食べ物や酒を用意してやって来て、自分の手で景清に与えている。 景清「この酒は一入身にしみて旨く感じる。御身の志は死んでも忘れはしない。それに引き較べても阿古屋の恨めしいこと」と鬼の様な眼に涙を見せた。 小野の姫「仰有ることは道理と思いますが、何事も運命と思し召して人をお恨みなさらぬが宜しかろう。いつまでもこうして居りたいのですが、人目も多く憚られますので明日また参ります」と、泣きなが帰途についた。 時間経過 京都近くの山陰に隠れ住んでいた阿古屋であったが、景清が牢に閉じ込められたと聞くや否や六波羅に駆けつけて来た。阿古屋は二人の息子を伴って、景清の所に近づき、 阿古屋「ああ、お労(いたわ)しや、景清様」と牢の格子にすがりついて泣いた。 景清「我を密告しておきながら、今更、どの様な料簡で此処に来たのだ。この犬畜生め」と眼に角を立て言い放った。 阿古屋「わたしの言い分も聞いて下さい。兄十蔵がお上に訴えようとしたので、何度も止めようとしていた所に、大宮司の娘とやらから親しげな手紙が届いたのです。女心の浅ましさで、前後の見境もなくなっての事。それもこれも殿御恋しさ、夫可愛さの一心から出たことです。この世での思い出にもう一度だけ優しい言葉を掛けて下さるならば、それを力にして自害致します」と、地にひれ伏して泣いた。すると傍らの長男の弥石が父親の姿をじっと見て、 弥石「ねえ父上、どうして父上程の豪傑が簡単に牢屋などに捉えられてしまったのですか。さあ、押し破って助けて差し上げましょう」と柱に手をかけたがびくともしない。すると今度は、次男弥若が、自由の利かない父親の脚に抱きついて、 弥若「痛いでしょうか、父上様」と泣いた。 景清「これ子供たち、よく聞け。父がこうなったのもみな、あの性悪な母の所業である。悪女の胎から生まれたと思えばお前たちまで憎い。父と思うな、こちらも子とは思わないので、早く帰れ」 阿古屋「ただ一言優しい言葉を掛けてやって下さいな。この幼い兄弟を可愛いとは思わないのですか」と必死の懇願。 景清「ええい、黙れ! 儂(わし)の気持ちは変わらない」と突っぱねた。 阿古屋は決死の形相で景清を睨みつけて、「もうこれまで」と言うより早く守り刀を引き抜くと、弥石の体を差し貫いた。それを見て弥若は牢の格子に縋って「明日からは良い子にしますので、助けて下さいい」と泣き叫ぶ。一度は躊躇した阿古屋であるが、弥若を刺殺し、自分も胸を差し貫いて自害して果てた。 この様を目の前にして、鬼の景清も大声を上げて泣くのであった。 この時に、阿古屋の兄の十蔵がこの場にやって来た。先ず三人の亡骸を手下の若い者に片付けさせてから、景清向かい、 十蔵「これこれ、妹婿の景清、内心ではお前の命を申し受けて、出家させようと考えていたが、もうこの上は勘弁が出来ない」と牢内の景清を睨みつけた。 景清「我は命が欲しくて自首したのではない。その方如きに好き放題はさせない」というが早いか、金剛力を発揮して忽ちに、頑丈な牢を粉微塵に打ち壊して、十蔵を瞬く間に退治してしまった。 景清はそのままで一町ほど走って逃げかかったが、このまま自分が逃亡したならば、大宮司や小野の姫が酷い災難に遭うことは間違いないと考えを改め、牢に走り入って内側から閂(かんぬき)を閉めて、元の姿で納まった。これを遠巻きに見物していた人々は皆一様に驚嘆しないではいられなかった。 奈良街道の小椋(おぐら)堤 諸国の大名を引き連れた頼朝の華やかな一行が通りかかっている。そこへ畠山重忠が息急き切って駆けつけ、頼朝が乗った馬の前に平伏した。 重忠「申し上げます。悪七兵衛景清は既に打ち首と聞き及んで居りましたが、いまだに牢の中で生きておりました」 頼朝「何と、不思議な事を申す。景清は二日前に佐々木に命じて打ち首にして、その首を余が直接に首実検致しておる」 重忠「お言葉では御座いますが、それがし今朝方に生きた景清の顔を、確かに見て参りました。間違いは御座いません」 そこへ佐々木四郎がさっと姿を現して、 佐々木「畠山殿、不条理な事を仰有るでない。景清は拙者が間違いなくこの手にかけておる」 重忠「貴殿は間違いなく打ち首にされている。拙者も生きている景清をこの目で見ております」 頼朝「両者共に事実を言っているに相違はない。この上は、京都に引き返して余が直々に確認致す」と、一同に命令を下した。 京都・三条の縄手(田の中のあぜ道) 景清の首が晒されて、その脇には高札が立てられていて「平家の一族で謀反人の棟梁・悪七兵衛景清の生首である」と墨書されている。そこへ頼朝以下、主だった重臣達が騎馬で登場。 頼朝「高綱、重忠、これを見よ」と下知した。それで近寄って皆がよくよく見てみると、景清の首と見えていた物が突然に強い光を周囲に放ちながら、千手観音の頭にと変化している。 丁度その時、清水寺の僧侶達が大挙してこの場にやって来た。そして中の一人が、 清水寺の僧「申し上げます。一昨日から観音像の御首が紛失して、その切口から血が流れ出しておりました。唯、驚き恐れてご注進申し上げます」 これを聞いた頼朝以下の人々は「あっ」と息を飲んで茫然自失した。暫くしてから、 頼朝「景清は深く清水寺の観世音に信仰心を寄せていたと聞いている。疑いもなく観世音が景清の命とお変えなされた証拠である」と感涙の涙を流された。 そして、観世音菩薩の御首を清めさせるようにと命令した。 清水寺の宿坊 盛大な観音像の御首を継ぐ法事の儀式を終えた頼朝が休息を取っている。そこへ佐々木と畠山が景清夫婦を伴って登場。 頼朝「景清か。我を平家の敵として狙い討とうとした汝の心掛けは、武士の手本とも言ってよく、実に見事である。その上に、観世音菩薩が汝の命の身代わりとなられた。この上はもう敵とは看做さずに日向の国に領国を分け与えるので、左様に心得よ」と、心の籠った言葉を掛けた。 景清「このように情け深い我が君様とも知らず、その御命を狙った拙者の心が間違いで御座いました」と、堪らずに涙を流して大声で泣き始めた。 時間経過 その場は和やかな宴会の席に変じている。大名などの混じっての盃の遣り取りが行われている。 重忠「景清殿、この様な目出度い席であり、その上に我が君頼朝公を御慰め致す為に、いかがであろうか例の屋島での有名なお話などを、聞かせては貰えないであろうか」と語り掛けた。頼朝を始め、一同が賛同して是非にと言うので、景清も断りきれない。 頼朝に一礼した景清は、過ぎ去った昔を語り始めた。語り終わった時、万座の人々は皆一様に感動の色を隠せないでいる。やがて、頼朝が席を立って景清に後ろ姿を見せた際に、景清は何を思ったのか、腰の刀をするりと抜くと頼朝に切って掛かる様子を見せた。一同が顔色を変えて身構えた瞬間に、景清はそこからぱっとばかりに飛び退いて、全身を床に投げ打ってから、 景清「(涙を流して)南無三宝、我が身でありながら情けない。情け深い我が君の御姿を拝していながら、この様な浅ましい所業。これもみなこの両目があるからこそであります」と、脇差を手に取って自分の両目をえぐり出してしまった。 頼朝「前代未聞のあっぱれな振舞である。末世に忠を尽くす仁義武勇の武士の手本である」と褒めた。 これが、出世景清と題する物語の一部始終であります。 《 完 》