「マタイ伝の要約」
マタイ伝には一章から二十八章まであるが、以下はその要約である。 第一章 ジーザスクライストの系譜が述べられている。父祖アブラハムから始まり、ダヴィデ王を経て生母マリアの夫・ジョセフに至る。 アブラハムからダヴィデまでが十四代、ダヴィデからバビロン捕囚までが十四代、バビロン捕囚からキリストまでが十四代になる。 ジーザスクライスト、つまりキリストの誕生は嘗て預言者が、「見よ、処女が子供を身籠り、一人の息子を生むであろう、そして人々はその子供をイマヌエル(神は人々と共にいらっしゃる)と呼ぶであろう、と神からの言葉を述べた事の、成就であった。 第二章 東方から来た博士達によって、キリストの生誕を知ったヘロデ王は二歳以下の男の子を皆殺しにする。夢で神のお告げを聞いたジョセフは妻のマリアと幼子のキリストを伴って、エジプトに難を逃れていたが、再び神の使いの天使の言葉に従い、イスラエルの地に舞い戻る。しかし、ヘロドの後を継いだ王を恐れて、ナザレの街に住み着く。 第三章 その頃、バプテスマのヨハネが出現して、荒野で教えを宣べていた。エルサレムとユダヤ全土と、ヨルダン付近一帯の人々が続々とヨハネの所に来て、自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。彼は、パリサイ人やサドカイ人が大勢でバプテスマを受けに来たのを見て、それを拒否した。その時、イエスはガリラヤを出て、ヨルダン川のヨハネの所に来て、彼のバプテスマを受けようとされた。そのイエスにヨハネは「私こそあなたからバプテスマを受ける筈なのに」と言った。イエスは「今は受けさせてもらいたい」と答えたので、ヨハネは言われた通りにした。 イエスはバプテスマを受けると直ぐ、水から上がられた。すると天が開け、神の御靈が鳩のように自分の上に降りてくるのを、ご覧になった。 第四章 イエスは御靈によって荒野に導かれ、悪魔による試みを体験される。次いで、宣教を開始する。悔い改めよ、天の国が近づいている。それから、四人の漁師に声を掛けて、弟子とした。 イエスは大勢の人々対して教えを説き始めた。 第五章 山上での教えの始まりは、天の御国の宣言である。イエスは人々が地の塩として働き、灯火の如くに輝く事を望み、その立派な行いによって、天上の父が崇められるように行動せよ、と教える。 兄弟に対して怒るな、和解せよ。姦淫するなと言うが、欲情を持って女を見たものは、既に姦淫しているのに等しい。不品行以外の理由で妻を離縁する者は、妻に姦淫を行わせるのであり、離縁された妻を娶る者は、姦淫するものである。 一切、誓約してはならない。また、自分の敵を愛せ。天国の父のように完全であれ、と説く。 第六章 自分の義(自分が正しい事をしたり、言ったりすること)を、他人の目につくように人前で行ってはいけない。また、施しは人に隠れてせよ。祈りも自分の部屋でせよ。 そして、祈りの言葉を具体的に示している。 断食に際しても、人に隠れてするように。目は体のあかりである。澄んだ目を示せ。二人の主人に同時に仕える事が出来ないように、神と富とを同時に信奉する事はできない。 何を食べ、何を飲もうか、何を着ようか、などと心配したり気を使わなくともよい。ただ、神の国と神の義を求めよ。明日の事を思い煩うな。一日の苦労はその日一日だけで十分である。 第七章 人を裁くな、人から自分が裁かれないように。何故、兄弟の目にあるチリを見ながら、自分の目の中にある梁(はり)を見ないのか。 求め、尋ね、門を叩け。そして、狭い門から入れ。木の善し悪しは、その実によってわかる。 私の教えの言葉を実行する者は、岩の上に家を立てた賢い者に譬えられる。イエスの説法は、律法学者の如くではなく、権威ある人のようになされたので、聴衆は吃驚仰天した。 第八章 イエスは一人のらい病患者を治した。次いで、百卒長(古代ローマの百人隊の指揮官)の下僕の中風を治した。次に、ペテロの義理の母親の熱病を治した。また、大勢の悪霊に憑かれた者達を治療した。更に、嵐を鎮めた。その後で、悪霊に憑かれた二人の乱暴者に出会い、豚の群れの中にその悪霊を追い込んでしまった。豚の群れは海に飛び込んで死んだ。 この知らせを聞いた町の人々は、イエスにここを去ってくださいと頼んだ。 第九章 イエスは自分の町に帰り、中風患者を治した。収税人のマタイに声を掛けて弟子とした。自分が来たのは、義人をではなく、罪人を招くために来たのだ、言う。その後、十二年間も長血を患った女を治し、死んだばかりの娘を生き返らせた。それから、二人の盲人の目が見えるようにした。また、悪霊に憑かれた唖を治し、口がきけるようにした。 更に、全ての町々村々をめぐって、あらゆる病気や患いを治した。そして弟子たちに言った、収穫は多いのだが、働き手が少ない。だから、主に祈って働き手が増えるように願いなさい、と。 第十章 イエスは十二弟子を呼び、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆる患いを癒す権威を授けた。私があなた方を送り出すのは、羊を狼の中に送るようなものだ。蛇のように賢く、鳩のように素直であれ、と仰った。 あなた方が恐れるべきなのは、体を殺しても、魂を殺すことができない者ではない。体も魂もともに地獄で殺すことのできる力を持った、父なる神をこそ恐れなさい。 地上に平和を齎すために来たのではなく、剣を投げ込むために私は、来たのだ。 人々があなた方を受け入れるのは、私を受け入れるのだ。それはまた、神を受け入れる事を意味する。 第十一章 イエスは洗礼者のヨハネについて、こう言った。彼は、人間の女が生んだ者の中では最も偉大だ。しかし、天国では最下位に位する。 そして、次に数々の力ある業がなされたのに、悔い改めることをしなかった町々を責め始めた。 また、彼は言う。全て重荷を負って苦労している者は、私の許に来なさい。あなた方を休ませてあげるから。私は柔和で、心のへりくだった者であるから、私のくびきを負って、私に学びなさい。そうすれば、あなた方の魂に休みが与えられる、と。 第十二章 イエスの弟子が安息日に、麦畑の穂をつまんで食べた。それを目撃したパリサイ人(モーセの律法に厳格に従い、異邦人と関わりのある事を全て避けている事を誇りとした)がそれを咎めた。 しかし、イエスは「私が好むのは、憐れみであって、生贄ではない」という神の意図を知れ、人の子は安息日の主であるのだ、と教えた。 その後、会堂の中に片手の萎えた人がいた。安息日に良いことをするのは、正しいことだと言って、その手を治した。パリサイ人は会堂を出て、何とかしてイエスを殺そうと相談した。 イエスはそれを知り、そこを立ち去った。所が多くの人々がついて来たので、彼らを皆癒し、自分の事を人々にあらわさないようにと、彼らを戒められた。 人々が盲人の唖を連れて来たので、イエスは彼を治し、物を言い、目が見えるようにした。群衆は皆驚いて「この人が、或いはダビデの子ではあるまいか」と言った。しかし、パリサイ人は、「この人が悪霊を追い出しているのは、悪霊の頭の力によるのだ」と強く否定した。 イエスは彼等の思いを見抜いて言う。内部で分かれ、争う国は自滅し、内輪で分かれ争う町や家はたちゆかない。邪な世代は、神性の徴ばかりを探し求めるものだ。嘗て、南の女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てからはるばるやって来た。ソロモンより勝れた者、それが此処にいる私なのだ、と。 すると、或る人がイエスに、「ご覧なさい、あなたの母上と兄弟方が、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」と言った。イエスは、私の母や兄弟たちは、此処にいると言われて、弟子たちに手を差し伸べられた。天にいます、私の父の御心を行う者は誰でも、私の兄弟、また姉妹、母なのです、と仰った。 第十三章 種を蒔く人の喩え、麦と毒麦の喩え、からし種の喩え、パン種の喩え、などなど。イエスが喩え話を用いるのは、人々が聞くには聞くが、決して悟らず、見るには見るが、決して認めないからだと説明した。 やがてイエスは、郷里に行き、会堂で教えた。人々は言った。「彼は大工の息子ではないか。これらの事を何処で習ったのか」と。 イエスは人々の不信仰のゆえに、そこでは力ある業をあまりなさらなかった。 第十四章 バプテスマのヨハネが領主のヘロデによって殺された。その知らせを聞いたイエスは、舟に乗ってそこを去った。そして、彼について来た大勢の群衆の中の病人を治した。また、五千人以上の人々に食事を与えた。夜になると海の上を歩いて渡った。 海を渡ってゲネサレの地に着いた。土地の人々はイエスと知って、病人を皆連れて来た。イエスの上着の房を触った者は皆、病気が治った。 第十五章 パリサイ人と律法学者とがエルサレムからイエスのもとに来て、「あなたの弟子達は何故、昔の人々の言い伝えを破るのか」と非難した。するとイエスは、「あなた方は、何故神の戒めを破っているのか」と反問した。そして、口から出ていく物は、心の中から出てくる。殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくる物で、人を汚すのだ、と諭された。 そこから、ツロとカナンの地方に行ったイエスは、信心深いカナンの女の娘を、悪霊から開放して、治した。イエスはそこからガリラヤの海辺に行き、山に登った。すると大勢の群衆が、足萎え、不具者、盲人、唖、その他多くの人々を連れて来て、イエスの足元に置いたので、彼らをいやされた。それを見た群衆は驚き、イスラエルの神を褒めたたえた。その後で弟子達は、「荒野の中でこんなに大勢の群衆に食べさせるパンがありませんが」とイエスに相談したところ、たちまちイエスは四千人以上に満腹するほどの食事を与えた。それからイエスは群衆を解散させ、舟でマガダンの地方に行かれた。 以上は一章から十五章まで、である。