小林一茶の句 を 読む。
小林一茶(1763-1828)は、信濃の国柏原で中農の子として生まれた。15歳の時に奉公の為に江戸に出て、やがて俳諧と出会い、「一茶調」と呼ばれる独自の俳風を確立して、松尾芭蕉、与謝蕪村、と並ぶ江戸時代を代表する俳諧師の一人となった。 雪とけて 村いっぱいの 子どもかな 雪とけて 町いっぱいの 子どもかな 名月を 取ってくれろと 泣く子かな 涼しさや 糊(のり)のかわかぬ 小行燈(こ あんどん) 雪とけて くりくりしたる 月夜かな 屁くらべが また始まるぞ 冬籠り 木がらしや 二十四文の 遊女小屋 おらが世や そこらの草も 餅になる 菜の塵や 流れながらに 花のさく かすむ日や 目の縫われたる 雁が鳴く 猫の子が ちょいと押さえる 落葉かな 慈悲すれば 糞をするなり 雀の子 あこが餅 あこが餅とて 並べけり 鳴く猫に 赤ん目をして 手まりかな 麦秋や 子を負いながら いわし売り とうふ屋が くる昼顔が 咲にけり けふからは 日本の雁ぞ 楽に寝よ 桜さく 大日本ぞ 日本ぞ とく暮れよ ことしのような 悪どしは 世が直る なほるとどでかいい 蛍かな ずぶ濡れの 大名を見る 炬燵かな 虫鳴くや わしらも口を 持た(持った)とて 花の影 寝まじ未来が 恐ろしき こう一茶の俳句を並べてみただけで、誰でもない、骨太で、どこか太々(ふてぶて)しい一茶調が浮き出てくるのが感じられて、たちまちに親しみを感じてしまう。気取りや衒学的な匂いは何処にもなく、ド百姓生まれたる土の臭いが、香水の如くに薫り立ってくる。 私は一茶が特別に好きでもなく、従って彼の駄句が大半と言う世評を鵜呑みにして、人口に膾炙している彼の所謂代表作や評判の良い句だけを、自分勝手に鑑賞しているだけであります。 それで感じた事ですが、一茶の目線の低さということであります。小鳥や、蛙、ハエなどと言った人間から見れば取るにも足らない対象を、感情移入どころか、その物になりきって、俳句作りをしている様が、共感を持てると言うか、凄まじいと、肌で感じるのであります。 生きてあるもの全てに愛情ある眼を注ぐ。音楽で言えば、ロックを感じる。俳諧の更に先を行く。傾きに傾き、綿雲のように様に「重く」、そして軽く、森羅万象に同化して共鳴する。心は幼子や、無邪気な子供と同列であってどこまでも純真、潔白。最下等の遊女にすら、熱い涙を灌がずにはいないのだった。 私は以前、金子兜太が一茶を称揚する為に芭蕉を貶めたと、断じましたが、ここで訂正ではなく、芭蕉と一茶の出自の違いが、作品の肌触りを全く異質にしたのだと、言い直したいと思う。両者の血管に流れる血の違いといってもよい。 金子が芭蕉は越えられるが、一茶は越えられない、そう言ったのはある意味で正しく、同じく発句と言ってもその拠って立つ地盤が違うので、芭蕉を引き合いに出すのはお門違いと申すべきで、野太い作風で知られた蛮カラ・インテリの及ぶところではなかった事はよく理解できる。その意味でも、一茶と言う人は、一種の天才人と呼ぶのに相応しく、俳句を、句作を、放屁の如くにまき散らした、根っからのド百姓の変種と見なければならないだろう。念の為にお断り致しますが、私は「ド百姓」の言葉を称賛の形容として一茶宗匠に呈しているのであって、上流人士を気取って、小便も大便も、ましてや屁などという下品な言葉は神聖なるポーエムの世界には持ち込みません。などと、乙に取り澄ました似非詩人やまやかしの俳人に類した人非人などには、頼まれても、見向きはいたしませんで、従って、論評も一切致さないでありましょう。私がどんな風にではあっても、このブログ上で名前をあげたり、あげつらったりするのは、根本的には敬意を抱いている証拠なので、その上での評価を勝手に放言しているだけなのです。 従って、権威ある、学問上の名文句を読みたいと願っている奇特なお方は、私のブログは無視して、二度と顧みなくて結構であります。私は、自分に相応しいお方だけを、このブログを通じてでも相手にして行けたら満足なのであります。 さて、御存知の様に私は別のブログで、源氏物語の現代語訳を浅学菲才の身をも顧みずに、十数年にわたって連載していて、幸運にも多数の方々から御愛読を頂いて居ります。それは一重に、我々日本人の先人・偉人の偉大なる業績を次の世代に伝えていきたい。絶やしたくはないと、切に願うからにほかならず、小林一茶もまた、我が日本国の誇るべき素晴らしい詩人のひとりとして、尊敬の念を以てして鑑賞、或いはじっくりと味読する必要があると思うのです。その為には単なる知識として、例えば源氏物語の作者は紫式部であると知るだけでは、何の意味もない。一茶は駄句の多い、私生活では精力絶倫の男だった程度の興味・関心の向け方では、一茶を知った事にはならないのであって、彼の句と真正面から向き合い、心を通わせ合う努力をしてみなければ、最低でも、そのくらいの努力は払わなければ、古典や古人との真摯な交流は望めないのであります。その点は、現代に生きている人の場合と全く同一であります。時代と空間を同じくする隣人であるか、時間軸を異にする隣人であるかの違いだけで、本当の隣人となれるか否かは、かかって今日に生きる我々の心掛け次第と言う事になるわけであります。古人は、とりわけ日本人は名誉と信義とを重んじた。現代人も謙虚に先人に学ぶ努力をしなければ、素晴らしい日本国に生を受けた甲斐がないというものです。コロナ禍という国難をピンチはチャンスと前向きに捉えて、偉大なる先人と交流を深める契機としたいもの。一人静かに古典と向き合う。又、喜ばしいではありませんか。 私は、源氏物語を「宇宙第一の書」と激賞するのですが、一茶の作句もまた、源氏に劣らない傑作表現であると、専門の研究者や実作者のあれこれの評価にも拘わらずに、断言して憚らないのであります。 これがまあ 終(つい)のすみかか 雪五尺 すずめの子 そこのけそこのけ お馬が通る 痩 せ蛙(がえる)負けるな一茶 ここにあり うまさうな 雪がふうはり ふわりかな 春風や 牛に引かれて 善光寺 名月を とってくれろと 泣く子かな めでたさや 中位なり おらが春余り鳴て 石になるなよ 猫の恋 鶯や 懐の子も 口をあく 梅が香に 障子ひらけば 月夜かな 陽炎に さらさら雨の かかりけり 門松や ひとりし聞ば 夜の雨 亀の甲 並べて東風(こち)に 吹かれけり 蛙鳴き 鶏なき東 しらみけり 大名を 馬からおろす 桜かな 手枕や 蝶は毎日 来てくれる なの花も 猫の通いぢ 吹き閉ぢよ 初午に 無官の狐 鳴きにけり 初夢に 古郷を見て 涙かな 春風に 箸を掴んで 寝る子かな 春雨に 大欠伸する 美人かな 振向ば はや美女過る 柳かな 蓬莱に 南無南無といふ 童かな 夕ざくら けふも昔に 成にけり 夕燕 我には翌の あてはなき 夕不二に 尻を並べて なく蛙 行く春の 町やかさ売 すだれ売 私に二人の監督の友人がいます。私が撮影所に入った時、現場の先輩として助監督のセカンドとサードとしてついていて、何かと現場に疎い私を手助けしてくれた。以来、焼き鳥屋での日本酒の飲み方やら、現場でのスタッフ同士の喧嘩の作法やらを実地に見分させてくれた、謂わば兄貴分のような二人でしたが、私が直ぐに現場を仕切るプロデューサーに昇格したので、助監督から監督に昇進するにはそれなりの年季がいるので、以後は立場が逆転して、銀座の高級クラブへの出入りを皮切りに、一人には第一回監督作品を提供するなど、彼等を手助けする立場にたちました。 こんな思い出があります。夜中の自宅に電話が入って、「杉村六郎と申します」、「吉田啓一郎です、御元気でしょうか」と半分酔っぱらった声で、改まった挨拶の声です。助監督の稼ぎだけでは食えないので居酒屋でアルバイトをしながら食いつないでいるとのこと。以後は、順調に監督業を続けた二人にも、苦しい下積み生活があった事を思い出します。 そう言えば、私には所謂苦難の時代が皆無だった。業界に入った時から、順風満帆でエリートコースをひた走ったからで、彼ら二人が監督としてフリーランスの厳しい洗礼を受けつつ活動を継続したのに比較して、安月給取りとは言え、会社員としての安定した地位が保証されたのとは、少し誇張して言えば天と地ほどの相違があったわけです。しかし監督業にはプロデューサーから全権を委任されて現場を取り仕切り、主役のスター俳優や女優を筆頭にした出演者や、様々なパートの職人集団で構成される数十人のスタッフを指揮して作品を自らの手で作り上げる、一種ヒロイックな爽快感があり、演出料も安月給取りなどには及びもつかない高額なギャラを得ることが許されており、それに比べて、プロデューサーの私は、同じく現場を仕切るとは言え、一旦現場に作品を渡してしまえば、何かアクシデントが起きた際の手当てやらオンエアーに間に合うようにスケジュール調整を、裏方として支える、謂わば縁の下の力持ちに徹する役割であり、監督のような疑似英雄の陶酔を感じることは全くありません。 そうい言えば、私は子供の頃から縁の下の下支えが専らの役所であり、スポットライトが当たる主役とか監督の役割からは遥かに遠い場所で、それでも物作りが大好きで、無意識にでも映画やドラマや、芝居などの世界に強い憧れがあって、結果的には業界人の仲間入りを果たすことになった。 俳句の宗匠は、芝居やドラマとはまったく違う分野ですが、俳句を生み出す上では自分自身がプロデューサーであり、監督であり、敢えて言えば主役などをすべて兼務した、大作家足りうるので、その孤独な作業と引き換えに、偉大なる先人の偉大なる演技やパフォーマンスを意識しつつ、それを凌駕する爽快感や陶酔に耽る事が許される、素晴らしい職業であり、役割であります。 道の辺の 木槿(むくげ)は馬に 喰われけり (松尾芭蕉) やれ打つな 蠅が手をすり 足をする (小林一茶) 同じく動物を対象としても、馬と蠅と関心や興味の向かうところが、両者の違いであっても、俳諧師としての眼光は鋭く、時代を超越した感性が生物の実存に肉迫している様を、読み取って下さい。