プラトンの「饗宴」の翻訳、創作風に その十一
アルキビアデスのソクラテスに関するスピーチである。 因みに、此処で彼の人物像に関して少しだけ述べておこうか。彼は、才能、容姿、家柄、人望全てにおいて卓越した人物であったようだ。徳にせよ、悪徳にせよ、彼に勝る者はないとまで言われた。その美貌は男性・女性を問わずに愛され、愛人が絶えなかったようである。又、弁舌の才にも恵まれており、他者を言い負かしたり、民衆を扇動することに長けてもいた。幼い頃から傲慢・横暴で、自らの才能を愛し、凡人である他者を見下していた。それに反して、自らよりも優れていると判断した人物に対しては、並々ならぬ尊敬の念と情熱を注いだ。師匠であるソクラテスにおいては、ソクラテスが他者を見ただけで嫉妬心を覚える程に心酔しており、その美貌で何度も彼を誘惑していた。自制心の強靭なソクラテスには全てが無意味であったが…。 「 もし僕が真実でないことを述べたならば、僕の弁舌の途中であっても制止してくれたまえ。少なくと僕は意図して偽りを言うつもりはないのだ。ソクラテスとの思い出に耽りすぎて話が停滞したりする事があっても、驚かないで、我慢出来る所は見過ごしてくれたなら、感謝しよう。今の僕の状態でソクラテスの異様とも言える人物像を滑らかに、順序建てて要約して語ることは容易ではないのだからね。諸君、僕は比喩をもってしてソクラテスを賞賛しようと思う。多分彼は僕が自分を笑いものにするのだと考えるだろうが。僕が比喩を用いる目的は真実の為であり侮蔑などではないのだ。彼はサイリーナス、酒神バッカスの養父で森の神サチルスの親分に酷似している。あの煙管かフルートを手にして彫像店の中で表現されているユーモラスな人物に。あの彫像は中が空洞で、取り外して内部を見ると中には小さな神々の人形が収まっている。 ソクラテスは又マルシアス・サター、バッカスの従者で半人半獣の森の神の一人、酒と女が大好き、だと断言する。ソクラテス、貴方はこの二者に肉体的な顕著な類似性を有していることを否定出来ない筈だ。それだけではなく、他の点でもこの二者に似ている。例えば、貴方は他人をどやしつける乱暴者だ。貴方が認めようとしなくても僕には証拠がある。確かに貴方はフルートは吹かないが、もっと鮮やかな演奏をやってのける。それはゼウス以下の神々が住むオリンパス山由来のメロディーとでも評すべき妙音である。貴方の口から出る言葉は聴く者の心を言い知れず夢見心地に導き、神々との合一の秘儀を渇望する者を夢幻境へと誘うのだ。その点ではソクラテスはマルシアスより遥かに優れている。と言うのは楽器を用いずして言葉だけでその奇跡を実現してしまうのだから。 とにも角にも、我々の大多数の者が全く関心を示さないような、いかに教養ある人の言葉であっても、ソクラテスが語ると、殆ど無関心な話題だとしても、忽ちに魂の深い所で揺さぶられ、魔術的な作用を懸けられてしまうのだ。男や女や若者の別なくなのだ。 僕は今現在こんなにも酩酊状態で喋っているので、諸君は誇張が過ぎると判断するかもしれないが、僕はしらふの状態でも全く同じ事を言うと神に誓約してもよい。僕はソクラテスの言葉を聴く度に、心臓が早鐘を打つように加速するのを感じる。まるで神憑り状態に陥った日の如くに、涙が両目から溢れ出してしまう。僕は大勢のほかの人々が同様の体験をしているのを目撃している。この種の事柄は、ペリクルスその他の名演説家の場合には起こらなかったのだ。彼等は確かに巧みに弁じるが、僕の魂が混乱し困惑して、自分の人生などは奴隷のそれにしか過ぎないと錯覚を覚えることはないのだ。それは僕が現代のマルシアスに操られて屡強制される状態なので、その結果で僕は自分の現在の状態で生きて行くのは不可能だと思える。ソクラテス、貴方はそれは本当ではないと言うのは許されない。今この瞬間でさえ、僕が進んで彼に耳を傾けるなら、僕はもう抵抗など出来ずに、以前と同様の現象に見舞われるに相違ない。 彼は次の如くに悟るように僕を強いる、僕はまだ依然として不完全なる物の塊であり、公共の為の生活に従事するなどと称して、自分自身の真の利益を頑固に無視し続けているのだと。それで僕は自分の真の傾向性質に反して、オデッセウスが怪美人・サイアレン達から身を守る為にそうしたように耳を塞ぎ、逃亡を謀っているのだと。 彼は僕がその存在の前で或る大きな興奮的な感情、自己を強く恥じるのを禁じえない、唯ひとりの人である。彼は、彼だけが僕をして積極的に自己を恥ずかしいと感じさせる。その理由は人は自己の心が命ずる様に行動するべきと言う結論は議論の余地がない程に明瞭な事だと、僕は自覚しているからだ。にも拘らずに僕は彼から逃れて、大衆迎合の誘惑に嵌り込んいるのだ。そこで僕は逃亡奴隷の如くに足に任せて逃げを打つ。彼を見る度に僕は自分が恥ずかしい人間なのだという結論に苛まれるのだ。何度となく僕は彼がこの地上から姿を消すことを念願したことか。でも、もしそれが実現したとしたら、僕の安堵の感情は圧倒的な悲しみによって押しつぶされてしまうだろう。実際、僕はソクラテスに関しては手の施しようもない有様なのだ。 以上が、この半神半獣の怪物サチルスが パイプの煙 で僕や他の多くの人々を魔術にかけている効果なのだ。だがまだ傾聴して欲しい、その他の点でも如何に彼が僕が比喩している怪物に似ているか、そして彼の所有する力が絶大であるかが分かるから。 諸君の誰もが、彼の真実の姿を知らないのだと納得するだろう。彼は容姿の勝れた若者に恋する傾向がある。そしてそうした相手と常に交際し、それに熱中する。それも、彼はあらゆる外見上の美観には遍く無関心であり、何も知らない。正にこの点こそ、彼が怪神シレナスに似ているのだ。彼は表面的はこうした諸性格を体していても、一度彼の表面的な下に隠されてある自己抑制の熾烈さを知ったならば、もう理解が及ばなくなってしまう。 彼にとって容貌が優れているかどうかなどは、関心の埒外にある。そればかりではないのだ。およそ世間で高く評価される要素、つまり裕福であるとかと言った他者に勝る有利な特徴などは、彼には無意味なのだ。 彼は自分の全人生を人々と共に在って遊び呆けているように振舞っている。ソクラテスが人知れず隠し持って大切にしている宝物はあるのだろうか? 僕には分からないのだが、唯一度だけ知ったのだ。神聖で、貴重、美しくて至高なる物、要約して言えば、僕は彼が僕に命ずることなら何でもする以外に、僕には選択の余地が無いと言う事実。 彼が僕の魅力に対して真摯な憧憬を抱いている事を信じて、神からの素晴らしい幸運が僕の頭上に舞い降りたと思う。僕に対する好意に報いる為に、ソクラテスが知っている事柄の全てを発見する事が出来なくてはならないと感じている。何故なら僕は自分の美貌に無制限な自負心を持っているから。この最終目的を視野に置いて、僕はこれまでずっとソクラテスと会談する際には必ず随行させていた自分の付き人の従者を追放し、僕一人で彼と相会したのだ。僕は諸君に全部本当のことを打ち明けようと思うので、僕が嘘とついたなら制止して貰いたい。僕はたった一人きりで彼と会うことを自分に許し、相対で、通常愛する者達が愛する者と語り合う種類の会話を開始したのだ。僕は嬉しかったが、何事も起こらなかった。彼は普段通りの会話をその日僕として過ごしてから僕を残して行ってしまった。次に僕は体育館の個室に彼を招待した。僕は彼をそこへ案内し、今度こそ彼に対して成功を遂げるだろうと信じていた。彼は体操をして、僕とレスリングを何度もして、僕ら二人以外には誰も居なかったのに、僕のゴールには到達しなかった。これも効果を発揮しなかったことを知った後で、僕は直接攻撃に出ようと決意し、一旦心に決めた事柄を遂行しようとした。僕はとことん突き進まなければ気が済まない気持ちだった。僕は彼を夕食に招待したが、彼は急がず騒がずに泰然として僕の招待に対して、最後には来ることを承知した。 最初の時、彼は夕食が終るや否や席を立って、帰って行ってしまった。その時は僕は恥ずかしかったので彼を去らせたのだ。しかし、僕は次なる攻撃を仕掛けたのだった。そして今度は夕食の後で深夜まで彼を会話で引き止めておいた。彼がもう帰りたいと言い出した際に、もう夜が遅過ぎるのでと言う口実で足止めしたのだ。