「万葉集」に親しむ その十五
去年(こぞ)見てし 秋の月夜(つくよ)は 照らせれど 相見し妹は いや年さかる(― 去年並んで一緒に眺めた秋の月は、今日も美しく夜空に光り輝いているのだが、愛妻は益々年隔たり、私から遠ざかる一方なのだ…) 衾(ふすま)路(ぢ)を 引出(ひきで)の山に 妹を置きて 山路を行けば 生けるともなし( (― 引出の山に亡妻を葬って、私一人で帰って来ると、生きている自分までが生きて在るような気がしないことであるよ) うつそみと 思ひし時 携へて わが二人見し 出で立ちの 百枝槻(ももえつき)の木 こちごちに 枝させる如 春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど たのめりし 妹にはあれど 世の中を背きし得ねば かぎろひの 燃ゆる荒野に 白栲の 天領巾隠(あまひれかく)り 鳥じもの 朝立ちい行きて 入日なす 隠(かく)りにしかば 吾妹子が 形見に置ける 緑児(みどりご)の 乞ひ泣くごとに 取り委(まか)する 物しなければ 男(をとこ)じもの 腋はさみ持ち 吾妹子と 二人わが宿(ね)し 枕づく 嬬屋(つまや)の内に 晝は うらさび暮らし 夜は 息づき明(あか)し 嘆けども せむすべ知らに 戀ふれども 逢ふよしを無み 大島の 羽易(はかひ)の山に 汝(な)が戀ふる 妹は座(いま)すと 人のいへば 石根(いはね)さくみて なづみ來(こ)し 好(よ)けくもぞ無き うつそみと 思ひし妹が 灰にてませば(― いつまでもこの世に生きてあると、思い込んでいた頃に、二人並んで眺めた、家を出た直ぐの場所に立っている、多くの枝が出ている槻の大樹、八方に枝を伸ばしているが、春に芽吹く葉が繁茂する、その様に精一杯に愛情を育み、心の底から愛し慕った若妻であった。心底頼りにしていた連れ合いであったが、世の中の非情な道理には反発し得ないので、大気がゆらゆらと揺らめいている荒野、白く美しい頭巾に包まれて身を隠すようにして、鳥のごとくに朝方にあの世にと旅立ってしまった妻、その愛しい妻が形見として残していった幼子が、何かを求めて泣き叫ぶ度に、手に取って与える物が何もないので、男の身で嬰児を脇に挟んで、今は亡き愛妻と共寝していた新婚の部屋の中で、昼は嘆き暮らし、夜も溜息をつきながら夜明けを迎え、苦しみ悩むけれどもどうしようもないのだ。恋しいと切なく思うけれども、逢う事は不可能なのだ。大島のはがいの山にお前の恋慕う相手は居ると、人が言ったので、岩のゴロゴロして難渋する道を踏み分けてやって来たが、良いことは何もなかった、生きて在るのかと疑った妻は既に火葬されて、ひと握りの灰に変わってしまっていたのだから) 去年(こぞ)見てし 秋の月夜(つくよ)は 渡れども 相見し妹は いや年さかる(― 昨年に妻と共に見た月は、こうこうと照り輝きながら大空を渡っていくが、一緒に見た妻の方は年を経るごとにいよいよ隔たり、遠ざかってしまうばかりだ) 衾(ふすま)路(じ)を 引出(ひきで)の山に 妹を置きて 山路思ふに生(い)けるともなし(― 引出の山の麓に妻の屍を置いて、亡妻が入っていく山路の困難さを考える時に、私としては生きている心地もしないことだ) 家に来て わが家を見れば 玉床(たまどこ)の 外(ほか)に向きけり 妹が木枕(こまくら)(― 家に戻って来て、新婚の部屋を見ると、妻の使っていた黄楊・つげ製の木枕が外に転がっているのだった) 秋山の したへる妹 なよ竹の とをよる子らは いかさまに 思ひをれか 栲縄(たくなは)の 長き命を 露こそば 朝(あした)に置きて 夕(ゆふべ)は 消ゆと言へ 霧こそば 夕に立ちて 朝は 失(う)すと言へ 梓弓(あづさゆみ) 音聞くわれも おぼに見し 事悔(くや)しきを 敷栲(しきたへ)の 手枕(たまくら)まきて 劍刀(つるぎたち) 身に副(そ)へ寝(ね)けむ 若草の その夫(つま)の子は さぶしみか 思ひて寝らむ 悔しみか 思うひ戀ふらむ 時ならず 過ぎにし子らが 朝露のごと 夕霧のごと(― 秋の山が赤く色づく様に、美しいわが妻、細く嫋(しなや)かなナヨ竹の如くに、柔らかくしなやかな妻は、なんと思っているのか、長い命であるものを、露ならばこそ朝置いて早くも夕方には消える言うが、霧ならばこそ夕方に立って朝には失せると言うけれども…。その評判を聞いている私も、仄かに見ただけだった事が後悔されるのに、互いに手枕を巻いて、身に副(そ)えて寝たであろう夫は、淋しく思って寝ていることであろうか。悔しく思って恋い慕っていることであろうか。まだ死ぬべき時でもないのに亡くなってしまった吉備(きび)の津の采女(うねめ、宮中で炊事や食事などを司った女官。郡司の子女で容姿端麗な者を選んだ)が、あたかも朝露の如くに、夕霧の如くに) 樂浪(ささなみ)の 志賀津(しがつ)の子らが 罷道(まかりぢ)の 川瀬の道を 見ればさぶしも(― 志賀津の人々の葬送の道である、川瀬の道筋を目にすると、心が淋しい事だ) 天數(そらかぞ)ふ 大津の子が 逢ひし日に おぼに見しかば 今に悔しき(― 大津の人と逢った際に、はっきりと見なかったので、今になると後悔されることであるよ)