「万葉集」に親しむ その三十七
妹と來(こ)し 敏馬(みぬめ)の崎を還(かへ)るさに 獨りして見れば 涙ぐましも(― かつて妹と二人で来た敏馬・兵庫県にある の崎を帰る際に、一人で見れば自然に涙が出て来てしまうことだよ) 往(ゆ)くさには 二人我が見し この崎を 獨り過ぐれば こころ悲しも(行きには夫婦揃って二人で見たこの岬を、たった一人で過ぎると、心が悲しいよ) 人もなき 空しき家は 草枕 旅にまさりて 苦しかりけり(妻が亡くなってしまい、なんとも虚しさを感じる家は、旅寝よりも一層苦しい思いがすることだ) 妹として 二人作りし わが山齋(しま)は 木高(こだか)く 繁くなりにけるかも(― 妻と二人して作った我が家の庭の山水は、今は小高くて枝枝が繁茂していることであるよ) 吾妹子が 植えし梅の樹 見るごとに 咽(む)せつつ 涙し流る(― 愛妻が植えた梅の木を見るたびに、胸が一杯になって涙が流れる) 愛(は)しきやし 榮えし君の 座(いま)しせば 昨日も今日も 吾を召さましを(― ああ、栄華を極めなされたわがご主人様が、御健在でいらっしゃったならば、毎日の様に私を御前にお呼びくださってでしょうに。残念であり、無念でありまする) かくのみに ありけるものを 萩の花 咲きてありやと 問ひし君はも(― 今思えばこうなることになっているのだったのに、萩の花は咲いているかと、お尋ねになった君は今や亡い、ああ) 君に戀ひ いたも爲便(すべ)無み 蘆鶴(あしたづ)の 哭(ね)のみし 哭かゆ 朝夕(あさよひ)にして(― 君に恋をして、全くするすべがないので、蘆鶴ではないが、大きな声を上げて泣くばかりである、朝や夕毎に) 遠長く 仕へむものと 思へりし君 座(いま)さねば 心神(こころど)もなし(― 遠く永くお仕えしようと思っていた君がもはやおいでにならないので、心の張りを失ってしまった) 若子(みどりご)の 這(は)ひたもとほり 朝夕(あさよひ)に 哭(ね)のみそわがなく 君無しにして(― 嬰児が這い回るように、朝夕這い回って泣いてばかりいる。君がいなくなられたので) 見れど飽かず 座(いま)しし君が 黄葉(もみぢば)の 移りい去(ゆ)けば 悲しくもあるか(― いくらお会いしても見飽きることもなかった立派な君が紅葉の散るようになくなられて、悲しいことである) 栲縄(たくづの)の 新羅(しらき)の國ゆ 人言(ひとごと)を よしと聞(きこ)して 問ひ放(さ)くる 親族(うがら)兄弟(はらから) 無き國に 渡る來まして 大君の 敷きます國に うち日さす 京(みやこ)しみみに 里家(さといえ)は 多(さわ)にあれども いかさまに 思ひけめかも つれもなき 佐保の山邊に 泣く兒(こ)なす 慕ひ來まして 布栲(しきたへ)の 宅(いへ)をも造り あらたまの 年の緒長く 住(す)まひつつ 座(いま)ししものを 生ける者 死ぬといふことに 免(まぬ)かれぬ ものにしあれば 憑(たの)めりし 人のことごと 草枕 たびなるほとに 佐保河を 朝河わたり 春日野(かすがの)を 背向(そがひ)に見つつ あしひきの 山邊を指して くれくれと 隠(かく)りましぬれ 言はむすべ せんすべ知るに たもとほり ただ獨して 白栲(しろたへ)の 衣手(ころもで)干(ほ)さず 嘆きつつ わが泣く涙 有馬山 雲ゐたなびき 雨に降りきや(― 日本はよい国だと言う噂をお聞きになり、新羅の国から話をし合う親族も兄弟もいないこの国に渡っておいでになって、我が大君のお治めになる国には、都に一杯に里や家は多くあるのに、なんと思われたのか、縁もない佐保山の山辺に、まるで泣く子が親を慕うように慕っておいでになり、家も作り、年長く住まっておいでになったのに、生者必滅ということは免れないことだから、頼みにしていた人が皆、有馬に旅に出ている間に亡くなられて、佐保川を朝渡り、春日野を後に見ながら、山辺を指して心細くも隠れておしまいになったので、何と言ってよいか、何をしたらばよいかわからず、ぐるぐると歩き回って、ただひとり居て喪服の涙も干さずに嘆いては、私の泣く涙が有馬山のあたりに、雲と棚引いて雨と降ったのでしょう) 留(とど)め得ぬ 命(いのち)にしあれば 敷栲(しきたへ)の 家ゆは出でて 雲隠(くもかく)りにき(― 留め得ない寿命であるから、住み慣れた家から出て雲隠れてしまった)