「万葉集」に親しむ その六十七
世間(よのなか)の 術(すべ)なきものは 年月は 流るる如し 取り續(つづ)き 追ひ來(く)るものは 百種(ももくさ)に 迫(せ)め寄り來(きた)る 少女(をとめらが) 少女(をとめ)さびすと 唐玉を手本(てもと)に纏(ま)かし 同輩兒(よちこ)らと 手携(てたづさは)りて 遊びけむ 時の盛りを 留(とど)みかね 過(すぐ)し遣(や)りつれ 蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に 何時(いつ)の間(ま)か 霜の降りけむ 紅の面(おもて)の上に 何處(いづく)ゆか皺(しわ)が來たりし 大夫(ますらを)の 男子(をとこ)さびすと 劔太刀(つるぎたち) 腰に取り佩き 獵弓(さつゆみ)を 手握(たにぎ)り持ちて 赤駒に 倭文鞍(しつくら)う ち置き匍(は)ひ乗りて 遊びあるきし 世間(よのなか)や 常にありける 少女(をとめ)らが さ寝(な)す板戸を 押し開き い辿(たど)りよりて 眞玉手の 玉手 さし交(か)へ さ寝(ね)し夜(よ)の 幾許(いくだ)もあらねば 手束杖(たつかづゑ) 腰にたがねて か行けば 人に厭(いと)はえ かく行けば 人に憎(にく)まえ 老男(およしを)は 斯(か)くのみならし たまきはる 命惜しけど せむ術(すべ)も無し(― この人間の世がどうしようもない有様は次のような次第である。先ず、年月は流れるように去って行く。後から後からと、様々な事象が我々人間に詰め寄って来る。例えば、少女等が少女等らしく行動をしようというので、珍しい舶来の宝玉の珠を手に巻いて( 或いは、互いに白栲の袖を振り交わして、赤い裳裾を後ろに引いて )、手を取り合って遊んだだろう娘さかりの年を、そのまま引き止めることなどは出来なくて、その年頃を過ごしてしまうと、黒々とした艶やかな髪にはいつの間にか霜が降ったかのように白いものが姿を現している。美しかった紅顔には、何処から来たのか分からないが、醜い皺が寄っている。( 別の伝えでは、何時もあった笑顔と引き眉が、咲いた花が衰えるように過ぎ去ってしまっていた。人生とは実に、こんなものであるらしい ) 又、大夫が真の男子らしく振舞うと言って、剣太刀を腰に佩き、猟の弓を手に握り持って、赤駒に日本古来からの倭文の鞍を置いて、それに乗馬して遊び回った青春の時代は、永久にその状態であるものであろうか。少女達の寝所の板戸を押し開けて、少女の許に近寄って、玉の様な手を指し交わして共に寝た夜は幾日も無いのに、いつの日にか杖を手にして腰を曲げ、あちらに行けば人から嫌われ、こちらに行けば若者から憎まれる。年寄りとはこうした存在であるらしい。生命は惜しいけれども、人の力では何ともするすべのない事であるよ) ―― 古代人は素朴で純朴で、まるで子供のようにあどけないが、我々現代人は極度に洗練されて、過度の技巧を手中にし過ぎている、云々かんぬん、などと聞いた風な口はきくまい。古代人も現代人も本質は何ら変わらない。幼稚で低脳なのは我々の方なのだと白旗を掲げておくに如くはないのだ。この長詩は人間の人生を見事に縮図化して見せてくれているではないか。しかもこの作者は千年の昔にも、人生とは斯のごときであり、人間の人生とはこうであったと明言している。つまり、こう人性を喝破し得るのは有能なる限られた資質の天才などではなくて、謂わば誰でもが普通に感じる感懐のひとつにしか過ぎないと述べるのだ。そうだろうと思う。進歩とか発展とか、とかく耳に心地よいことにばかり我々の関心が向くのは仕方ないとして、人間のひとりとして、どう己の生に決着をつけるのか。つまりプロセスをどうやって充実させ、完全燃焼に導くか。それに向けて、いざ、全力投球と参りたいものである。 常磐(ときは)なす 斯くしもがもと 思へども 世の事なれば 留(とど)みかねつも(― 磐石のように永久に変わらないで居たいと思うのだが、歳も命も、この世のことは引き止められないのだ。悲しい、などと泣き言を言ったところで始まりはしないのだよ、皆の衆) 龍(たつ)の馬(ま)も 今も得てしか あおによし 奈良の都に 行きて來(こ)む爲(― 今、直ちに大空を翔る竜馬・ペガサスが欲しい。憧れて止まないあの懐かしい奈良の都に行ってまた、瞬時に戻って来たいので) 現(うつつ)には 逢ふよしも無し ぬばたまの 夜(よる)の夢(いめ)にを 繼(つ)ぎて見えこそ(― 現実では逢う手立ては皆無ですから、夜の夢に毎夜、私を夢見てくださいな) 龍(たつ)の馬(ま)を 吾(あれ)は求めむ あおによし 奈良の都に 來む人の爲(た)に(ー ペガサスを伝説の中ではなくて、現実に求めよう。我らが素晴らしい都・奈良に来る人の為に) 直(ただ)に逢はず 在(あ)らくも多く 敷栲(しきたへ)の 枕離(さ)らずて 夢(いめ)にし見えむ(― 直接にお会いできないことも多いのですから、仰せの如くにあなたの枕を離れずに毎夜の夢に見えるように致しましょう)