「万葉集」に親しむ その八十
み吉野の 青根が峯(たけ)の こけ蓆(むしろ) 誰か織りけむ 經緯(たてぬき)無しに(― み吉野の青根が峯の苔のムシロは誰が織ったのであろうか、縦糸や横糸がないのに) 妹等(いもら)がり わがゆく道の 細竹(しの)すすき われし通はば 靡け細竹原(しのはら)(― 恋人の所に私が通う道の篠やススキよ、私が通ったら靡き伏せよ、しのの原よ) 山の間(ま)に 渡る秋沙(あきさ)の ゆきて居(ゐ)む その川の瀬に 波立つなゆめ((― 山の間をずっと渡っていくアイサガモが、行って翼を休めるであろう川の瀬よ、決して波を立てるなよ、分かったな) 佐保川に さ驟(ばし)る千鳥 夜更(よぐた)ちて 汝(な)が聲聞けば 寝(い)ねがてなくに(― 佐保川に素早く飛んでいる千鳥よ、夜が更けてからお前の声を聞くと眠れなくなってしまうよ) 清き瀬に 千鳥妻呼び 山の際(ま)に 霞立つらむ 神名火(かむなび)の里(― さぞかし今頃は、清い瀬では千鳥が妻を呼び立て、山の際では、霞が立っているであろう神名火の里では。どんなに良い景色であろうかなあ) 年月も いまだ經なくに 明日香川(あすかかは) 瀬瀬ゆ渡しし 石橋も無し(― 年月もまだあまり経ていないのに、明日香川の瀬々に渡した石橋も既になくなってしまった。世の中の変転の早さよ) 落ち激(たぎ)つ 走井(はしりゐ)の水 清くあれば おきてはわれは 去(ゆ)きかてぬかも(― 湧き出る水が溢れ落ちて、激しく流れる走井の水が清浄なので、私はそれを打ち捨てて通り去ることが出来ない) 馬酔木(あしび)なす 榮えし君が 掘りし井の 石井(いはゐ)の水は 飲めど飽かぬかも(― あしびの花の様に栄えていたあの御方がお掘りになった、岩で囲んだ井戸の水は、いくら飲んでも飽きない) 琴取れば 嘆き先立(さきた)つ けだしくも 琴の下樋(したひ)に 嬬(つま)や隠(こも)れる(― この琴を手に取ると先ず嘆かれる。もしや、琴の胴の虚ろな部分、下樋にこれを弾いていた今は亡き妻が隠れているのだろうかと) 神(かむ)さぶる 磐根(いはね)こごしき み吉野の 水分山(みくまりやま)を 見ればかなしも(― 神々しい磐がごつごつしているみ吉野の分水嶺、水分山を見ると切なる感動を覚えるよ) 皆人の 戀ふるみ吉野 今日見れば うべも戀けり 山川清み(― 人々が皆恋い慕うみ吉野の景色を今日見ると、なる程と、人々の気持が分かる。こんなにも山や川の景色が清らかなのだから) 夢のわだ 言(こと)にしありけり 現(うつつ)にも 見てけるものを 思ひし思へば(―吉野川宮滝の巨岩に囲まれた淵は天下の奇景であるとは嘘であったよ。夢ではなくて、現実にこの目でしかと観たのだが、全くの期待はずれであったよ) 皇祖神(すめかみ)の 神の宮人(みやひと) 冬薯蕷葛(ところつら) いや常(とこ)しくに われかへり見む(― 歴代の天皇が神にお仕えする宮人として、トコロのつるではないが、常永久に続いていくように、私はこの吉野の地を永遠にやって来ては眺めようと思うのだ) 吉野川 石(いは)と柏(かしは)と 常磐(ときは)なす われは通はむ 萬代(よろづよ)までに(― 吉野川の巌と柏の木が永久に変わらない如くに、私は変わらずにやって来て、この吉野の地に通おう、万代までも) 宇治川は 淀瀬無からし 網代人(あじろひと) 舟呼ばふ聲 をちこち聞ゆ(― 宇治川には澱んだ浅瀬がないようだ。網代で魚を取る人が舟を呼ぶ声があちこちで聞こえる) 宇治川に 生(お)ふる菅藻(すがも)を 川早み 取らず來にけり つとに爲(せ)ましを(― 宇治川に生えている菅藻を流れが速いものだから取らずに帰ってきてしまった。お土産にすれば良かったなあ) 宇治人の 譬(たと)への網代(あじろ) われならば 今は寄らまし 木屑(こづみ)來ずとも(― 宇治人の喩えによく引かれる網代に、私なら、今こそ寄るだろうに、いつも其処に溜まっている木の屑すら寄らなくとも。恋人が慕わしいので) 宇治川を 船渡せをと 呼ばへども 聞えざるらし 楫(かぢ)の音(と)もせず(― 宇治川に向かい、舟を渡せと繰り返し叫んでみたが、聞こえないらしい。さっぱり、櫓の音もしない) ちはや人(ひと) 宇治川波を 清みかも 旅行く人の 立ちがてにする(― 宇治川の波が清らかだからだろうか、旅ゆく人が立ち去り難く思っているのは) しなが鳥 猪名野(ゐなの)を來れば 有馬山(ありまやま) 夕霧立ちぬ 宿(よどり)は無くて(― 兵庫県の猪名野を歩いてくると、有馬山に夕霧が立った。まだ今夜泊まる所も決まってはいないのに) 武庫川(むこがは)の 水脈(みを)を早みか 赤駒の 足掻(あが)く激(たぎち)に 濡れにけるかも(― 武庫川の水脈の流れが速いからか、乗っている赤駒の足掻きに濡れてしまった)