「万葉集」に親しむ その百一
何しかも ここだく戀ふる 霍公鳥 鳴く聲聞けば 戀こそまされ(― どうしてホトトギスをこんなに恋しく思うのだろう。その声を聞けば、一層恋心が募ってくると言うのに) 獨(ひと)り居て もの思うふ夕(よひ)に 霍公鳥(ほととぎす) 此間(こ)ゆ鳴き渡る 心しあるらし(― 独り居て物を思う夜に、ほととぎすが、ここを鳴いて渡る。ほととぎすにも心があるらしい) 卯(う)の花も いまだ咲かねば 霍公鳥 佐保の山邊に 來鳴き響(とよ)もす(― 卯の花もまだ咲かないのにホトトギスが、佐保の山辺に来て鳴き立てている) わが屋前(やど)の 花橘の 何時(いつ)しかも 珠に貫(ぬ)くべく その實(み)なりなむ(― 私の家の庭先の花橘は、何時になったら、珠として緒に通せるように、その実がなることであろうか) 隠(こも)りのみ 居(を)ればいぶせみ 慰(なぐさ)むと 出で立ち聞けば 來鳴く晩蝉(ひぐらし)(― 家にこもってばかりいると気持が晴れないので、心を慰めようと外の出て耳を澄ますと、来て鳴くひぐらしよ) わが屋戸(やど)に 月おし照れり 霍公鳥 心あらば 今夜(こよひ)來鳴き響(とよ)もせ(― 我が家の庭に月が一面に照っている。ホトトギスよ、心があるならばこの月の良い晩にやって来て鳴きたてよ) わが屋戸前(やど)の 花橘に 霍公鳥 今こそ鳴かめ 友に逢へる時(― 私の家の庭先の花橘で、ほととぎすよ、今こそ鳴くでしょうね。友と会っている今なのだから) 皆人の 待ちし卯の花 散りぬとも 鳴く霍公鳥 われ忘れめや(― 皆の人が待っていた卯の花はたとい散っても、そこに来て鳴くホトトギスを、私は決して忘れないだろう) わが背子が 屋戸の橘 花を吉(よ)み 鳴く霍公鳥 見にそわが來(こ)し(― わが背子の家の庭先の橘は花が美しいので来て鳴くホトトギスを、見に私はやって来たのです) 霍公鳥(ほととぎす) いたくな鳴きそ 獨り居て 寝(い)の寝(ね)らえぬに 聞けば苦しも(― ホトトギスよ、ひどく鳴かないでおくれ。独りでいて眠れない時にお前の声を聞くと苦しくてならないから) 夏まけて 咲きたる唐棣(はねず) ひさかたの 雨うち降らば うつろひなむか(― 夏を待ちうけて咲いたハネズは、雨が降ったなら衰えてしまうだろうか) わが屋戸(やど)の 花橘を 霍公鳥 來(き)鳴かず 地(つち)に 散らしてむとか(― わが家の庭先の花橘を、ホトトギスよ、来て鳴かないままで散らせようというのか) 霍公鳥 思はずありき 木(こ)の暗(くれ)の 斯(か)くなるまでに なにか來鳴かぬ(― ホトトギスよ、私は思いもかけなかった。木の繁みが、こんなに深くなるまで、来て鳴くことをしないのだ) 何処(いづく)には 鳴きもしにけむ 霍公鳥 吾家(わぎへ)の里に 今日のみそ鳴く(― 何処かでは既に鳴きもしたろうが、ホトトギスが実に今日始めて私の家のある里で鳴いている) わが屋戸(やど)の 花橘は 散り過ぎて 珠に貫(ぬ)くべく 實(み)になりにけり(― わが家の庭先の花橘は散りさって、珠として紐の緒に通せるように実となったことである) 霍公鳥 待てど來鳴かず 菖蒲草(あやめぐさ) 玉に貫く日を いまだ遠みか(― ホトトギスを待っているけれども来て鳴かない。アヤメグサを珠として紐の緒にして通す日がまだ遠いからだろうか) 卯の花の 過ぎば惜しみか 霍公鳥 雨間(あまま)もおかず 此間(こ)ゆ鳴き渡る(― 卯の花が散りすぎて行くと惜しいからか、ホトトギスが雨の晴れ間も待たないで、雨の中を飛んでいく) 君が家(いへ)の 花橘は成りにけり 花なる時に 逢はましものを(― あなたの家の花橘は実がなりましたね。花のうちにお会いしたらよかったのに) わが屋前(やど)の 花橘を 霍公鳥 來鳴き動(とよ)めて 本(もと)に散らしつ(― 私の家の花橘をホトトギスが来て鳴き響かせて、根元に散らしてしまった) 夏山の 木末(こぬれ)の繁(しげ)に 霍公鳥 鳴き響(とよ)むなる 聲の遥(はる)けさ(― 夏の山の木ずえの繁みにホトトギスが鳴き立てている声が遠く聞こえることよ) あしひきの 木(こ)の間(ま)立ち潜(く)く 霍公鳥 斯(か)く聞きそめて 後戀ひむかも(― 山の木の間を飛びくぐって鳴くホトトギスの声を、このように始めて聞いたが、後では恋しく思うであろうか) わが屋前の 瞿麦(なでしこ)の花 盛りなり 手折(たを)りて一目 見せむ兒もがも(― わが家の庭先のナデシコの花が今盛りである。手折って一目見せる女の子が欲しい) 筑波嶺(つくはね)に わが行けりせば 霍公鳥 山彦響(とよ)め 鳴かましやそれ(― 筑波山に私が行っていたなら、ホトトギスが山彦を鳴り響かせて鳴いたでしょうか、一体。私が行ったら鳴かなかったのではないでしょうか)