「万葉集」に親しむ その百九
高圓(たかまと)の 野邊の容花面影(かほはなおもかげ)に 見えつつ妹(いも)は 忘れかねつも(― 高円の野の辺の容花・ひるがお のように面影に見えて、妹は忘れることができない) 今造る 久邇(くに)の京(みやこ)に秋の夜の長きに 獨り寝(ぬ)るが苦しさ(― 新しく作っている久邇の京に、秋の夜の長いのにただひとりで寝ることのくるしさよ) あしひきの 山邊に居(を)りて秋風の 日にけに吹けば 妹をしそ思うふ(― 山辺にいて秋風が日ごとに吹くと妹が恋しく思われる) 手もすまに 植ゑし萩にや 却(かへ)りては 見れども飽かず 情盡(こころつく)さむ(― 手を一生懸命に働かせて植えた萩に対してみれば、かえって満足できず、私は精も根も使い果たすことであろうか) 衣手(ころもで)に 水渋(みしぶ)つくまで 植ゑし田を 引板(ひきた)わが延(は)へ 守れる苦し(― 袖に水渋がつくほどに苦労して植えた田を、鳴子を引き渡して守っているのは苦しい。 子供の時から育てた尼が一人前になった時の気がかりな気持を詠んだものか ) 佐保川の 水を塞(せ)き上げて 植ゑし田を 刈る早飯(わさいひ)は 獨りなるべし(― 佐保川の水をせき止めて植えた田を、刈り入れして炊いた早稲の飯を食べるのは、ただ一人なのであろう) 大口の 眞神(まかみ)の原に 降る雪は いたくな降りそ 家もあらなくに(― 眞神の原に降る雪は、ひどく降らないでおくれ。家もないのだから) はだすすき 尾花逆葺(さかふき) 黒木もち 造れる室(いへ)は 萬代(よろづよ)までに(― はだすすきを尾花を逆さにして葺いて黒木で造った家は万代までも栄えるであろうか) あをによし 奈良の山なる 黒木もち 造れる室(いへ)は 座(ま)せど飽かぬかも(― 奈良の山にある丸木で造った家は、居心地が実によいものだ) 沫雪(あわゆき)の ほどろほどろに 降り敷けば 平城の京(みやこ)し 思ほゆるかも(― あわ雪がはらはらと散って一面に降ると、平城宮が思われることである。 太宰府での作) わが岳(をか)に 盛りに咲ける 梅の花 残れる雪を まがへつるかな(― わが岡に盛んに咲いている梅の花と、消え残った雪を見間違えてしまった) 沫雪(あわゆき)に 降らえて 咲ける梅の花 君がり遣(や)らば よそへてむかも(― あわ雪に降られて咲いた梅の花をあなたの許にあげたなら、あなたはこれを沫雪とご覧になられるでしょうか) たな霧(ぎ)らひ 雪も降らぬか 梅の花 咲かぬが代(しろ)に 擬(そ)へてだに見む(― そら一面に曇って、雪が降らないかなあ。梅の花がまだ咲かないその代わりに、梅になぞらえてそれを見ように) 天霧(あまぎ)らし 雪も降らぬか いちしろく このいつ柴に 降らまくを見む(― 空を曇らして雪が降らないかなあ。見る目もあざやかにこのいつ柴、茂った小木に雪が降るのを見たい) 引き攀(よ)ぢて 折らば散るべみ 梅の花 袖に扱入(こき)れつ 染(し)まば染(し)むとも(― 引っ張って折ったらば散るだろうから、梅の花を、袖にこき入れた。もし色がつくならついても構わないとて) わが屋前(やど)の 冬木の上に 降る雪を 梅の花かと うち見つるかも(― 私の家の庭先の冬枯れの木の上に降る雪を梅の花かと眺めたことであった。 ぬばたまの 今夜(こよひ)の雪に いざぬれな 明けむ朝(あした)に 消(け)なば惜しけむ(― 今夜の雪にさあぬれよう。夜があけてあしたの朝消えてしまったら、惜しいだろう) 梅の花 枝にか散ると 見るまでに 風に亂れて 雪そ降りくる(― 梅の花が枝のところで舞い散るのかと見間違えるほどに、風に乱れて雪が散ってくる) 十二月(しはす)には 沫雪(あわゆき)降ると 知らねかも 梅の花咲く 含(ふふ)めらずして(― 十二月にはまだ淡雪が降ると知らないからか、梅の花が咲く。蕾のままでいずに) 今日降りし 雪に競(きほ)ひて わが屋前(やど)の 冬木の梅は 花咲きにけり(― 今日降った雪に負けまいと、私の家の庭先の冬枯れの梅は花を咲かせた) 池の變(へ)の 松の末葉(うらは)に降る雪は 五百重(いほへ)降りしけ 明日さへも見む(― 池のほとりの松の末葉に降る雪は、五百重にも降り重なれ、明日もまた見よう) 沫雪の この頃續(つ)ぎて 斯(か)く降れば 梅の初花 散らか過ぎなむ(― 淡雪がこの頃続いてこんなに降ると、梅の初花が散ってしまうだろうか) 梅の花 折りも折らずも 見つれども 今夜(こよひ)の花になほ 如(し)かずけり(― 梅の花は、折っても見、折らずにも見したけれど、今夜の梅にはやはり及ぶものは無いことだなあ)