「万葉集」に親しむ その百三十一
萬代(よろづよ」に 携(たづさ)はり居(ゐ)て 相見とも 思ひ過ぐべき 戀にあらなくに(― 万代まで手を取り合っていて、顔を見合わせても、心から消え去りそうな恋ではありませんのに) 萬代に 照るべき月も 雲隠(くもがく)り 苦しきものぞ 逢はむと思へど(― 万代に照るべき月ですらも雲に隠れることがあっていつも見る事ができないように、逢おうと思ってもなかなか逢えず苦しいものである) 白雲の 五百重(いほへ)隠(かく)りて 遠けども 夜(よる)去(さ)らず見む 妹(いも)が邉(あたり)は(― 白雲が幾重にも重なった後に隠れて遠いけれども、夜はいつも見よう。妹の辺りを) わがためと 織女(たなばたつめ)の その屋戸(やど)に 織る白栲は 織りてけむかも(― 私のためとて織女が、その家で織る白布は、果たして織り上げただろうか) 君に逢はず ひさしき時ゆ 織る服(はた)の 白栲(しろたへ)衣(ころも) 垢(あか)づくまでに(― あなたにお会いできずにずっと前から織っている布の、白栲の衣は垢づいてしまうほどになってしまいました) 天の河 楫(かぢ)の音(と)聞ゆ 彦星(ひこほし)と 織女(たなばたつめ)と 今夕(こよひ)逢(あ)ふらしも(― 天の河に櫓の音が聞こえる。彦星と織女は今宵逢うらしい) 秋されば 川そ霧(き)らへる 天(あま)の川(かは) 川に向き居(ゐ)て戀ふる夜の多き(― 秋が来ると天の河に霧が立ち込めている。その河に向かっていて河の向こうの人を恋しく思う事が多いことである) よしゑやし 直(ただ)ならずとも ぬえ鳥の うら嘆(な)け居(を)りと 告げむ子もがも(― よしや直接にではなくとも、ヌエ鳥・トラツグミ、悲しげな声で鳴く のように心の内で嘆いていると告げる子が欲しい) 一年(ひととせ)は 七夕(なぬかのよ)のみ 逢ふ人の 戀も過ぎねば 夜(よ)は更けゆく(― 一年に七月七日の夜だけ逢う牽牛と織女との恋もまだ満たされないのに、夜の更けゆくことよ) 天の河 安(やす)の河原に 定(さだ)まりて 神し競へば 年待たなくに(― 天の河の安の河原にとどまっていて、神が競っているので、年は待たないでいるよ) *古来よりこの歌は難解とされている。 織女(たなばた)の 五百機(いほはた)立てて 織る布(ぬの)の 秋さり衣(ころも) 誰(たれ)か取り見む(― 織女星が多くの機を立てて織る布の秋になって着る衣を誰が取って見るだろうか。それは勿論彦星である) 年にありて 今か纏(ま)くらむ ぬばたまの 夜霧(よぎり)隠(かく)りに 遠妻(とほつま)の手を(― 彦星は一年に一度の今、夜露に隠れて、いつもは遠くに居る妻の織女の手を纏くことであろう) わが待ちし 秋は來(きた)りぬ 妹とわれ 何事あれそ 紐解かざらむ(― 私が待ちに待った秋が来た。妹と私とは何事があって、紐を互いに解かないことがあろうか。必ず解くのです) 年の戀 今夜(こよひ)盡(つく)して 明日よりは 常の如くや わが戀ひ居(を)らむ(― 一年待ちに待った恋心を、今夜すっかり晴らして、明日からはいつものように私は恋い続けることであろうか) 逢はなくは 日(け)長きものを 天の河 河隔ててまたや わが戀ひ居らむ(― 全く長いあいだ互いに会わないのに、またもや天の河を隔てて私は恋続けることであろうか) 戀しけく 日(け)長きものを 逢ふべかる 夕(よひ)だに君が 來まさざるらむ(― 長い間恋しかったのに、お会いする筈のこの夕ですらどうしてわが君は、おいでにならないのであろう) 彦星(ひこほし)と 織女(たなばたつめ)と 今夜(こよひ)逢ふ 天(あま)の河門(かはと)に 波立つなゆめ(― 彦星と織女とが今宵会う天の河の渡り瀬に、波よ決して立つな) 秋風の 吹きただよはす 白雲は 織女(たなばたつめ)の 天(あま)つ領巾(ひれ)かも(― 秋風が吹きただよわす白雲は、織女の領巾・上代から平安にかけての女子装身具。首にかけ左右に長く垂らす布。魔除けなどの呪力を持つと考えられ、別れなどに振った であろうか) しばしばも 相見ぬ君を 天の河 舟出早為(はやせ)よ 夜の更けぬ間(ま)に(― しばしばお会いするあなたではないのですから、天の河に舟出を早くして下さい。夜の更けないうちに) 秋風の 清きゆうべに 天(あま)の河(かは) 舟漕ぎ渡る 月人壯子(つきひとをとこ)(― 秋風が清く吹くこの夕、天の河を漕いで渡る月の姿よ) 天の河 霧立ち渡り 彦星(ひこほし)の 楫(かぢ)の音(と)聞ゆ 夜の更(ふ)けゆけば(― 天の河に霧が立ちわたって、彦星の舟の楫の音が聞こえる。夜が更けていくと) 君が舟 今漕ぎ來(く)らし 天の河 霧立ち渡る この川の瀬に(― 我が君の舟が今、漕いでくるらしい。天の河のこの川瀬に霧が立ち渡っている) 秋風に 川波立ちぬ 暫(しまし)くは 八十(やそ)の舟津に 御舟とどめよ(― 秋風に天の河の川波が立ちました。多くの舟津の何処かに御舟をしばらくお停めなさいな)