戯曲「愛情は深く、青い海の如く」 その二
フィリップ 僕は「許して」などと言う言葉は聞いていないよ。聞いたのは、悪筆だよ。床の上でこれを見つけたんだ。 (彼はミラー氏にアスピリンの瓶を手渡す。相手は頷いて、それをポケットに滑り込ませた。それから彼はへスターの顔を強く叩いた。彼女は眼を開いて驚愕している。ミラーはアスピリンの瓶をポケットから取り出して、彼女の目の前に差し出した)ミラー 何錠飲んだんだ。 (へスターは眼を閉じる。ミラーはまた彼女を叩いた) 何錠なんだ。へスター (非常に明確に)十二錠。(又、目を閉じた)ミラー (エルトン夫人に)寝室は何処ですか。 エルトン夫人 (ドアーを開けに小走りして)此処です。 (ミラーは手をへスターの体の下に滑り込ませ、彼女をドアーへと運ぶ)ミラー (エルトン夫人に)私のカバンを持って来て下さい。(ベッドルームへへスターの身体を運び入れる。フリップがカバンを拾い上げた。ミラーは歩きながら)熱い湯をコップに一杯お願いします、エルトン夫人。(彼はベッドルームに入り、フリップが続く)エルトン夫人 はい、只今持ってまいります。(彼女は居間に戻り、それから台所に入る。フィリップが寝室から姿を現す)フィリップ ねえ、君。事務所に行ったほうがよくはないかな、僕は大丈夫だが、君が遅れるのは拙いよ。アン 会社の人達は理解して下さるわよ、月曜日にはあまり仕事が無いのが普通だもの。そして結論を言えば、自殺事件は毎日は起こらないでしょう。フィリップ (寝室のドアーの方を振り返って)彼は自分の役柄を十二分に弁えているようだね。自殺は未遂に終わった感じだよ。アン 哀れな魂、どうしてあんな事をしたのかしらね。フレディーって、確か、彼女の旦那さんだったかしらね。フリップ 僕もそう思う、確かに。僕は下の階で彼の手紙を見たことがあるよ、フレデリック・ペイジ宛でね。アン 私はずっと彼の顔つきが嫌いなの。フィリップ 彼女は言った、哀れな、愛するフレディーってね。彼が彼女を捨てたようには聞こえなかったんだが、他になにか…。アン それで彼は何処にいるのかしらね。フィリップ 夫というものは時々は妻を仕事に連れて行かないものだよ。 (エルトン夫人が暖かいお湯を持って台所から出てくる。彼女は寝室に向かい、ドアーをノックして中に入る)アン とにかく彼が助けてくださる事を願うわ。(彼女は暖炉を見ていたが、何かに気づく。そして急いでそこへ行き、マントルピースから一通の手紙を手に取った)そうよ、勿論だわ。フリップ 何なのかな。アン (手紙を掲げて)遺書よ、それがあると思っていたんだけど。フィリップ 誰宛なのだい。アン (読む)フレディー、鉛筆書きよ。筆圧が弱々しい。フィリップ 悪筆を許してね、僕はその言葉が遺書の中にあると思うんだが、アスピリンを飲んだ後だからそうなるのだろうよ。アン 中を開けて見るべきかしらね。フィリップ いや、それは警察の仕事だろうよ。アン 警察ですって、まあ、あなた…。フィリップ (不幸そうに)警察に通報するべきじゃないかな。 (彼女は手紙を素早くマントルピースに戻した)アン それってむさ苦しい行為でしょ、自殺は。人はそれをしようとする時にはそう感じるものでしょう、警察や検視官とか、そう言った種類の…。我々は証拠を示すべきだと思うの。フィリップ もしも裁判があるならばだが、そうならないことを祈ろうよ。アン 自殺未遂は犯罪なのかしらね、それ刑務所に入れられるのかしらね。フィリップ そうだろう。アン それじゃあ警察に電話するべきじゃないわ、とにかく、まだよ。フィリップ 僕らは誰かと接触を図るべきなんだ、いずれにしても。彼女の旦那さんが戻るのを神に祈ろうよ。あの手紙は彼が彼女を捨てたわけではないことを証明しているのだ。彼女は彼の戻りを期待していた。君、手紙は見つけた正確な場所に戻したかね。アン ええ、そうしたわ。フィリップ いや、少しずれているよ、あの時計の半分は後ろだったよ。 (アンは用心深くその手紙を指示された場所に置いた。エルトン夫人が寝室から出て来た) 彼女の具合はどうですか。エルトン夫人 ミラー氏は言わなかったのですが、良くなっているみたいよ。彼は彼女に注射みたいなものをしていたわ。それで又気分が悪くなったみたいなのよ、私はブラックコーヒーを作らなくては。 (彼女は台所に戻り、フィリップはドアーの所までついて行った。声だけが、此処は用意できるわ、部屋を少し温めなくてはいけない…、と聞こえる)フィリップ (エルトン夫人に呼びかける)エルトン夫人、我々二人は、ペイジ氏を確保しなければと思うのですが、彼が何処にいるか分かりますかね。(エルトン夫人が戸口に姿を現して)エルトン夫人 いいえ、全く分からないのよ。フィリップ 彼はしばしば外出するのですかね。エルトン夫人 時々ですね。通常は夜には外出しないようですね。フィリップ 彼の仕事場は何処でしょう。エルトン夫人 どんな仕事しているのか私は知らないのですよ、常雇いでは無くて臨時で出かける様子なの。彼はしばしば一日中此処に居るわ、それは承知してるのよ、彼は飛行機に関係した何かをしているらしいの、もしくは、以前に従事していたみたいなのよ。フィリップ 飛行機を売っているのですか。エルトン夫人 いいえ、飛行機を飛ばしているらしいの。テストパイロットかしらね、それを何て言うのかしら。フィリップ はい、何と言う会社なのかはご存知ではないですか。エルトン夫人 いいえ、その上に、お分かりかしら、もう彼はその仕事してはいないのですよ。(彼女は台所に戻る)アン 彼女はロンドンに親戚が居るに違いないので、その方面を調べなくては…。 (エルトン夫人が再び姿を現し、居間の方に入ってくる、ドアーを開け放したままで)エルトン夫人 いいえ、知っているとは言えないのですよ。フィリップ それでは誰か特別な友人を考えることはできませんか。彼女が誰かについて語るのを聞いたことはありませんか。エルトン夫人 いいえ、いつも彼女は秘密を抱え込んでいましたからね、ペイジ夫人は。アン 彼女には訪問客があったはずなのですがね…。エルトン夫人 殆どいませんでしたよ、そして彼等はいつも旦那さんの方を訪ねるので、夫人の方ではなかったのですよ。フィリップ 訪問者の名前などは…。エルトン夫人 思い出せませんよ。フィリップ お願いですから、努力して思い出してくださいな、エルトン夫人。これは非常に重要なことなのですからね。エルトン夫人 御免なさい、ウエルチさん、ショックだったものですからね。フィリップ そうです、そうですよ、勿論です。でも、さあ、さあ、一生懸命に考えてください。ペイジ夫人の関係者では誰か知りませんか、我々が連絡するべき相手として。アン 弁護士とか、銀行家とか…。 (エルトン夫人は集中して顔を顰める)エルトン夫人 (遂に)彼女の夫がいましたよ、勿論…。フィリップ (絶望の身振りで)知ってますが、彼の所在が知れないのですからね。エルトン夫人 そうじゃあないのですよ、(彼女は驚愕した表情をした)いいえ、私は誰も考えることは出来ませんよ。(彼女は向きを変えて台所に戻る)アン (鋭く)エルトン夫人、彼女の夫がいます、とは、どういう意味ですか。(エルトン夫人がゆっくりと振り返った) ペイジ氏は彼女の夫ではないのですね。 (間)フィリップ 彼女の本当の名前は。エルトン夫人 私は何も言いませんでしたよ。フィリップ あの、ですね、エルトン夫人。もし警察が来れば、全てが明るみに出ることになるのですよ。あなたは我々に伝えたくない事は何も仰らなくていいのです。でも、僕が思うに、もしあなたが本当の彼女の夫を知っているのなら、その人に電話をして、何が起こったのかを知らせるべきではないでしょうかね。エルトン夫人 私は彼女の本当の夫など知りません。そして、私が知っていることは、忠実に誓約したのですよ、断じて口外などしはしないと。ある日私は彼女の配給手帳を拾ったんですよ、そしてそれから彼女は彼女の大事な秘密を洗いざらい率直に話してくれたからなんです。何故彼女が離婚できなかったのかの理由ですがね。可哀想な彼女、彼女は私の夫が追い出すとでも思ったのですね、私はその晩彼女が自分の持ち物を荷造りしているのを知ったんです。私は彼女に馬鹿な真似はしないように諭したのよ、まるで私が夫にそんな風に言ったかのように。彼には関係のないことだったし、誰にも関係のないことなのよ、結論はそういうことなの。 (彼女は台所に行き、フィリップとアンは目を見交わした)アン 私はすっかり事情を理解できたわ、フィリップ。この男、ペイジは彼女を捨てたのよ、彼女には向かうべき人は誰もいないのよ。彼女は自分の家族と喧嘩したのでしょう、そして彼女の友人たちは彼女を見捨てたの、一番ありそうな事だわ。 (エルトン夫人がお盆の上にカップと受け皿を載せて姿を現した)エルトン夫人 それで、あなた方は私が彼女の夫にこの事を告げるべきだと思っているのね。フリップ はい、そうですよ、エルトン夫人。僕にはそれがなすべき唯一の事だと思われます。