シェークスピアのソネット その十六
第百三十九聯、ああ、お前の無情な仕打ちが我が心を苦しめるのに、その罪の弁明役に当の私を呼び出すのが常套手段なのだが、それは止めてくれないか、私には辛すぎるのだよ、酷く傷ついている、お前が想像する以上にだ、えっ、あたしは想像なんかしない、だって、そうだろう、そうだろう、私の女々しい泣き言なのだ、恋人よ、その悪魔的な眼で私を傷つけずに、その舌で辛辣極まりない毒舌で傷つけてくれ。思いっきり力を振るうがよい、だが、策略で殺してくれるな。他の男を愛していると言うがよい、だが、恋人よ、お願いだから私の前ではよそに流し目をくれるのは、どうかよしてくれ、お前の力は追い詰められた私の力には負えないくらいに強いのに、何故、計略をつかってまで傷つける必要があろうか。お前の為に世の中の慣例に従って弁ずればこうなろうか、ああ、我が恋人は、その気まぐれな目つきが私の敵であるのを篤と承知している、それゆえに私の顔から敵を引き上げて、他の男に矢を降り注ぎ、手傷を負わせようとしている、と。だが、それは止めてくれ。私は半分死にかけているのだ、いっそ、その目つきで息の根をとめ、苦痛から救ってくれ。 第百四十聯、恋人よ、お前は世にも残酷な女だが賢さも持ち合わせてくれ、私がこうして黙って耐えているのに、この上、それを無視して責め苛むな。さもないと苦しさと悲しみが私に言葉を与えて、言葉は 憐憫欠乏症 の、わが苦しみぶりを述べ立てるだろう。お前に分別を説いてよければ、愛する者よ、肉欲の対象よ、たとえ愛していなくとも、嘘に嘘を重ねて「愛しているわ」と言うがよい。苛立ちやすい病人は、死期が近づくと、担当医からは良くなりますよという言葉しか聞こうとしなくなる。もし私が絶望して狂乱に陥れば、その狂乱の最中でお前を悪しざまに言うかも知れない。全てっを捻じ曲げる当世の堕落混迷は甚だしいから、狂った男のたわいのない中傷でも、狂った聞き手が信じてくれよう。だが、愛しい恋人よ、淫猥な肉欲の対象たるダークレイディーよ、狂った私の中傷の言葉が信じられて、お前が世間から中傷され、爪弾きされないように、お前の高慢で淫乱な心が肉体からさ迷いでても、眼だけは、正面を見詰めるがいい。 此処で、私の詰まらない感想を一言、詩人は女性を相手の繰り言、愚痴を述べる際には当然のことながら平凡な世の詩人並みの言辞しか述べることは出来ない。理想は現実の肉体交渉で解消され理想や夢を欠いた愛の空虚な表現は生彩さを伴いようがない。万葉詩人たちの方が余程素敵で生き生きとした躍動する恋心を表出し得ている。相手が肉欲だけで夢や理想を感じさせない相手では天才の出し様がないわけですね、しかし、これも天才詩人の計算の中に織り込み済みなこと。最終目的は神にも勝る理想の恋人の青年をより崇め、奉る手段なのですから。地の低さを強調することで天の高さを暗に表現する、本当の目的は此処に在ることを忘れないようにしよう。 第百四十一聯、実のところ、眼で見てお前を愛しているのではない、眼はお前の内に無数の欠点を見ているのだ。だが、心の方は眼が蔑むものを、愛している。心は見えるものに逆らって熱愛を捧げたがる、耳がお前の声音を楽しむのでもなければ、鋭い触感が卑しげに撫で回したがるのでもない、同様に、味覚も嗅覚も、別にお前一人だけを相手にして、官能の饗宴にあずかろうと思っているわけでもない。ただ、私の五官(視・聴・嗅・味・触)も、知恵の五つの働き(分別・想像力・知覚力・判断力・記憶力)も、ひとつの愚かな心がお前に仕えるのを抑制できないのだよ。かくて、わが心は、魂は、抜け殻同然の私を放り捨てて、お前の高慢な淫靡な心に仕える卑しい下僕と成り果てた。ただ、この本質的な禍が奇跡的に利益にも成りうるのは、私を愚かな罪に誘う女が、苦しみの罰を同時に与えてくれる事だけだ、その分だけ死後に与えられる罰が軽くなるから。 第百四十二聯、私の罪は愛したことで、お前の大切な美徳は憎しみと唾棄だ、私の罪に対する憎しみは、罪深い愛情から生まれ出た、ああ、お前よ、ああ、私の事情をお前のと比べてくれさえしたら、敢えて私を咎めるにも当たらぬことが分かるだろうよ。仮に咎められるにしても、よりによってお前の汚れた唇に謗られるいわれはない、それは、これまでにもおのが緋色の枢機卿の如き高貴な着衣を穢し、私の唇同様に、幾度も愛の偽証文に刻印を押してきたのだし、他人の寝台に入る収益を掠めてもきたのだからね。私の飢えた眼がお前に迫るように、お前の淫乱な眼も人を見境もなく誘い、贋の愛を語り続けるのなら、私がお前を愛したっていいはずだ、その心にどうか憐れみを植えてくれ、束の間でも構わないさ、そいつが育ってお前の造花の如き憐れみが人間らしさを僅かであっても帯びるのなら。それで、我慢できる。もしも、自分が拒絶するものを他者には要求するというになら、おのが身に照らしてみても、相手からは拒まれてしかるべきなのだ、因果応報なのだよ。 第百四十三聯、気苦労の絶える間もない一家の女房が、駆け出してはぐれた鶏の一羽を引っ捕えようと躍起になっている、抱えていた幼子を地面におき、相手を捕まえようと後を追って力の限り走っていく、捨てられた子供も母親を追って泣き喚くけれど、取りすがろうとするけれど、母親の方は目の前を逃げる鶏を追うのに無我夢中で、哀れな幼子の嘆きなどとんと頭にない、お前も同じさ、無慈悲な恋人よ、お前はただ自分から逃げる者だけを追いかける。私は見捨てられた幼子で、遠くから後を追ってついていく、でも、恋人よ、お目当てのモノを手にしたら戻ってきて母親役を勤めてくれ、私に接吻して、優しくしてくれ。とにかくも、戻ってきて泣き喚く私を宥めてくれるのなら、お前がウィル・思い(願望、意志、欲情、男根、心)などを手にするように陰ながら祈りもしようよ。 百四十四聯、慰安をもたらしてくれる者と、絶望に追い込む者と、私には二人の恋人がいて、二種類の霊魂のように絶えっずに私に働きかけてくる。より良い方の天使のごとき恋人はまことに色が白くて伝統的な美人、美貌の男なのだが、悪い方の霊はきわめて今日的で、不気味な黒い色をしたどう見ても不吉そのものと言った女だ。この女の悪霊は直ぐにでも私を地獄・梅毒の病 にひきおとそうとし、良い方の天使を私の側からおびきだし、あの醜くも華やかな娼婦的な姿で純潔な青年を口説き落とし、この純情この上ない初心な私の聖者を手もなく堕落させて、根っからの悪魔のように変化させようと図る。私はわが敬愛する天使が唾棄すべき悪魔に成り下がってしまったのではないかと疑い、恐れているのだが、まだ、確かなことは言えない。だが、二人は私から離れてお互いの友達になったのだから、男の天使は女の悪霊の股ぐら地獄、女陰の中にいるのだろう、だが、これは私には分からない、あの悪魔が無垢な天使を恐ろしい梅毒の火で燻り出すまで、疑いながら戦々恐々として生きるわけだ。 第百四十五聯、愛の優しい女神が美しい手で自ら作られたあの魅惑の唇が、「私は嫌いよ」という言葉を口にした、彼女を心底愛して挙句に恋にやつれ果てたこの私に向かってだ。しかし、私が極度に嘆くさまを見て取ると、すぐさま女の残酷な心にも哀れみが現れて、普段は情け深い判決を下している、常には優しい、あの舌を叱りつけて、こう言い直せと教え込んだ。女は「私は嫌い」に結びを添えて言い変えた。その出現はまるで暗い夜の後に穏やかな昼が訪れきたって漆黒の夜は悪魔のごとくに天から地獄に逃げ失せたよう。女は「私は嫌い」を憎しみの遠くに捨てて、「じゃないわ」と言い添え、我が命を救った…。 第百四十六聯、わが罪深き土くれの中心よ、お前を貶めんとするこの反逆の軍勢に打ち負かされた、憐れな魂よ、外壁は金を惜しまず、華やかに塗り立てながら、何故に、内では飢えに苦しみ悩むのか、窮乏に苦しみ耐えるのか。わずかの間だけ借りたに過ぎない、この朽ちゆく屋敷に、何故、こんなにも多額な費用を費やすのか、こういう奢りの相続人たる蛆虫どもにお前の預り物を食らわせるのか、それがお前の肉体の定めなのか。それなら、魂よ、こんな下僕は見殺しにして生きるがいい、お前の貯えを増やすためなら、奴は餓えさせておけ。屑みたいな時間を売り払って、永遠の生命を贖うがいい。もう、外側を装うのはよしにして内なるものを養うがよい。こうして、人を食らう死神をお前が喰らうのだ、そして、死神が死んでしまえば、もう死ぬことはない。 第百四十七聯、私の愛はそもそもが熱病みたいなものだ、いつでも病気を尚更養い育てる物を欲しがり、患いを長引かせるものを食べて、気まぐれで、病的な食欲を満たしている。つまり、性悪な黒い婦人を飽くなく追い求めて憔悴している。私の理性がこの悪性の愛を根治する医者なのだが、処方を守らないと言って怒り、私を見捨ててしまっている。病状は絶望に陥り、私は薬を拒む欲望が死に等しいのを此の身で知った。理性に見放されたからには回復する見込みはない。私は絶えずに不安に苛まれて錯乱している。わが心も、言葉も、狂人のそれと同じで、ひどく的外れな上に、愚にもつかぬ話ぶりだ、ああ、恋人よ、お前は地獄の如く暗く夜のように黒いが、私は美しいと誓い、輝くばかりと、見たのだからね。 第百四十八聯、全く愛は、愛の神キューピッドは何と言う眼をこの頭に嵌め込んだのだろうか、わが見る物は真実の姿とは似つかない、紛いものばかり。もしも似ているのなら、私の判断力は何処へ逃げたのか、眼は対象を正しく見るのに、鑑定を間違えているのではないか。あてには出来ないわが眼の熱愛するものが美しいなら、世間が違うというのは、どういう理由があってのことだろうか。違うのなら、わが愛がはっきりと示すとおりで、愛の眼は世間の眼の見る真実を見ないのだ。そうとも、ああ、どうして、ああ、どうして寝もやらず涙にくれて、痛み疲れた愛の眼に真実が見えようはずもない。だから、私が見違えても別に不思議はないのだが。太陽だって雲が切れるまでは何も見てはいないのだ、ああ、狡猾な愛よ、わが黒き恋人よ、愛のキューピッドよ、狡猾な愛よ、お前が涙で私を幻惑して目を晦ますのは、よく見える眼に、忌まわしい弱みを見つけられない為だ、それだけなのだよ。 第百四十九聯、ああ、ああ、酷い女よ、恋する淫乱女よ、私は敢えて己に背いて憎たらしいお前に組みしているのに、私が実はお前を愛してなどいないなどと言えるのか、暴虐非道なる女よ、我が事を忘れてこんなにも一途に尽くしているのに、私がお前の為を思っていないなどと言うのか。お前が憎む者に対して、私が友よ、などと呼びかけるであろうか。お前が不興げな顔を向ける者に、私が諂い顔を見せるか、いや、いや、お前が私に嫌な顔を見せれば、私はたちどころに嘆き悲しんで、我と我が身に恨みを晴らしはしないだろろうか。お前に奴隷のごとくに仕えるのを蔑むほどに、誇らしくて優れた才質を何にしても我が身の内に認めているだろうか。私は忠実な下僕宜しく、お前の眼の動きが命じるままに、全身全霊を挙げてお前に尽くし、厭らしい欠点を崇め奉っているではないか、だが愛する者よ、心底憎むがいい、今はお前の心が解った。眼の見える者達をお前は愛するが、私は盲目なのだ、進んでそうなったのだ、本望だよ。 第百五十聯、ああ、お前、淫乱好色なる我が恋人よ、どんな種類の神からその強力な力を授かったのか、お前はわが弱みを逆手にとってわが心を支配する。挙句に、私は真実を見る眼を嘘つき呼ばわりして、昼間を引き立てるのは明るさではない、などと誓う始末。醜悪な嫌悪すべきものに魅力を添えるこの術を、お前は一体何処で覚え仕込んだのか。塵芥同然のその卑しく浅ましい振る舞いにさえ、確かな手練手管、遣り手婆あさながらの老練な力が満ち満ちているから、わが心の中ではお前の最悪が全ての最善に打ち勝つのだ、憎んで当然のものを見聞きするほど、却ってお前を愛したくなる、その手口は誰に教えてもらったのだ。ああ、ああ、私は他人が忌み嫌うものを愛しているが、お前までが人と一緒になって私を忌み嫌う法はないぞ、思いの卑しさと好色さが私の愛を呼び起こしたのなら、尚の事、私はお前の愛に相応しい淫猥な男だ、実に、嘆かわしくも似合いのカップルと呼べようよ。 第百五十一聯、愛は若すぎるから、分別がどういうものかを知らないが、分別が愛から生まれるということは誰でも知っている。だから、優しい残酷な裏切り者よ、私の過ちを責めるのはよせ。美しいお前がわが罪の元と知れては困りもしようよ。お前が私を裏切るから、私も裏切りを働いて自分の高貴なる魂を、賎しい肉体の反逆に委ねるのさ。魂は肉体に命じて、愛の凱歌をあげるがいいと言い、肉体の方は二度と言われるまでもなく、お前の名前を聞いて突っ立ち、勝利の獲物はお前だと指を指す。こうして、自惚れ、膨れ上がり、惨めな苦役人の身分に満足して、事あればお前の為に立ち、お前の傍らで死のうと言う。彼女を恋人と呼び、愛ゆえに立とうと、死のうと、だからと言って私が無分別だとは考えてくれるな。 第百五十二聯、私がお前を愛して誓いに背いたのは、知っての通りだ、事実さ。でも、お前は私に愛を誓って二度も誓いに背いた。夫婦の契を裏切ったし、新しい愛が生まれると、新しい約束を破り捨てて、新しい憎しみを誓ったのだから。だが、二度誓を破ったとて、お前を咎められるか、この私は二十度も誓を破っているぞ。私が一番の嘘つきだ。私の見え透いた誓いはみんなお前をその場限りで欺く誓いにすぎない。お前のせいで私の誠実さなどは何処かへ吹き飛んでしまった、私はお前が真情溢れる女性だと心底から誓い、お前の愛にも、誠にも、貞節にも、嘘偽りはないなどと誓った、お前に光を添えるために、私はこの眼を晦ませた。また、眼が見るものとは逆の事を誓わせたよ。つまり、私はお前が美しいと誓ったし、真実に逆らってこんな醜く厭らしい嘘をつくとは,眼のイカサマがもっとひどい。 第百五十三聯、愛の神キューピッドが愛の松明を傍らに寝込んでしまった。純潔の女神ダイアナの侍女が、その隙に恋心を掻き立てるこの松明を引っつかみ、いきなり、近くの谷間の冷たい泉に突っ込んだ、泉は愛の神のものなるこの焔から、永劫の活気にあふれて変わることなき熱気をもらい、沸き滾る温泉と変じ、かくて、重病難病を癒す効験あらたかな薬湯となったのは、今も人の知る通り。ところが、愛の神の松明は我が恋人の眼からまた火種を得た。しかも、この少年、試しに私の胸を灼いてみないと気がすまぬ。おかげで私は病を得て、温泉の助けを借りようと急ぎこの土地を訪れ、哀れな患い客となったが、治療のすべはなかった。私を癒す温泉は、新たにキューピッドが火を得たところ、我が恋人の眼だったのだ。 第百五十四聯、或るとき、幼い愛の神が横になって眠り込んだ、恋心に火をつける松明を横に置いたままで。そこに純潔の一生を送ると誓った多くのニンフ達が軽やかな足取りで通りかかり、中でも一番美しい巫女が、清らかな手に松明を取り上げた、これまでに数え切れない数の真心を燃え立たせた松明をだ。こうして強い情欲を支配するこの大将殿、眠っている間に、娘の手で得物を奪い取られた。彼女はこの松明をそばの冷たい泉に浸して消した。泉は愛の神の火から永久(とこしえ)に冷めぬ熱気をもらい、温泉に変じて、病に悩む人々を癒す薬湯となった。だが、恋人の虜である私は此処に治療に来たけれど、こんなわけで知ったのは、これ。詰まりは、愛の神の火は水を熱っするが、水は愛を冷やしてはくれぬ、と。