近松を読む その七
彦九郎は相手の言葉が意外だったので思わず両手を打ち合わせて、むむ、これは珍事を聞くものである、その源右衛門とやら噂に名前は聞いたが面はまだ見ていない、遂に家内に出入りせず証拠は有るのか、と問いかけた所、おお、三五平程の者が証拠もなくて言うだろうか、則ち傍輩の磯邊床右衛門が両人が不義密通の様子を察知して、留守見舞いと見せかけて近づき、両人が忍びあった夜に両袖を切って取ってあるる。御家中が取り沙汰している上は隠しても隠しきれない、如何に親しい傍輩同士の中であっても、これを直接に彦九郎に打ち明けるわけにも行かず、夫の三五平殿に申し越された。これをご覧なさいと懐中から二人の袂を取り出して投げ出し、これでもまだ疑うのですか、と血相を変えて言うのだった。 彦九郎はそれを散りあげて、男の袖は知らないが、女の衣装には覚えが確かにある、これ妹よ、直ぐにでもその方の恥辱を注いでやろう、こちらに来なさいよとうち連れて座敷の方にと通ったのだ。 家内の上下、これを聞いて鳴りを潜め、ひっそりと静かにしている時に、主は少しも騒がずに言った、これ女房、此処に来い、言葉数少なく呼んだところ、いずれにしても重大事である、そろりそろりとお種は夫の前に姿を現した、そして神妙に頭を垂れて座っている。身体も冷え切って魂もしょげてしまい、息を潜めている中でも、無残であるが種は我が心から進んで企んだことではなくて、不慮の悪縁であり、身から出た錆であるから夫の手で刀の錆と刃にかけられるのも覚悟の上、やがては再会するであろうと長い期間の留守を辛抱をしつくして待った甲斐もなく、去年新しく改めた前夜の枕が今生での最後の枕とは、今殺されるまでは夢にも思わなかった、今一度夫の顔を見たいと思うのだが、涙に暮れて目も開かない、差うつむいたままで泣いている。 主は両袖投げ出して、妹のゆらが言っている言い分を定めて誰もが聞いたであろう、女よ、言い訳はないのかやい、むむ、無言でいるのは最も至極であろう、そうであろう、そうであろう、返答は出来ないであろうよ、男女が不義を犯した場合に仲立ちをした者も同罪である、藤は仲介者を知らないかと問いただすと、ああ、愚かな事を仰せなさるな彦九郎殿、仲立ちを知っているくらいならこの様な恥辱を体験致しましょうかと、再びさめざめと泣いているのだった。さては下女目が仲立ちをしたのであろう、そいつを呼べと呼び出したのだが、がちがちがちがち、と身を震わして、ああ、勿体無いことでありまする、私は何も存じません、この間お種様は子堕し薬を買っておくれと仰りまして、一服を七分づつ三服を二匁一分で買って参ったばかりです。そうではありまするが、旦那様がお聞きなされたら高いものを買ったとお叱りを受けるだろうからと思いまして、銭の方は相手を上手く誤魔化しておきました等と言う。 彦九郎は驚いて下女は何を言うことかと思えば、さては懐胎していたのか、文六よ、お前は若年とは言えこれほどに家中の評判になっている事でもあり、どうして源右衛門をさっさと討って捨てなかったのだ。いや、我等も今朝程に事情を承り家来どもに申し付けて彼の宿所に討手に遣わしましたところ、相手は二三日前に京都に帰りましたと言うことでした。むむ、もう仕方がない、持仏堂に火を灯せ、これ女よ立て、持仏に参れ、と言ったところ女房は涙を押し拭い未来の後の末の世まで御憎しみがお有りでしょうに、庭先やその他の場所ではなく持仏堂に参れとはさすがに御馴染みの御温情、篤く感謝致していつの世になりましても忘れは致しません。そのお優しい御心情を知った上でこの長い年月を夫婦として共に過ごし、その愛しい夫を袖にしての不義ではありません、まるで夢でも見ているような私の身の上です。間に憎い奴もいるのですがそれを言えば言い訳がましくなりますので、卑怯未練の死、夫の刃に掛かる前に自害するのはどうかとも存じまするが、これは私自身で責任をとったものです、お許し下さい、御覧下さいませとお種が胸を押し開けば懐剣の九寸五分の鍔元まで肝先まで刺し通していたのであった。実に哀れな覚悟ではあった。 藤と文六はあっと叫んで涙は胸元までせきあげてくるのだが、少しも怯んだ様子もない主人の顔に恥じて歯を食いしばって嘆いているのだ。 彦九郎は刀を抜き、女房の身体を引き寄せてぐっと刺し、返す刀で止めを刺した。死骸を押しやって刀の血を拭い、落ち着き払って静かに立ち上がった。さすがは武士で水際立った処置ぶりである。今朝脱ぎ捨てたばかりの旅装束を再び押しとって笠や草鞋を身に付け、刀を腰に差し、文六よ、私はこれから番頭に訴えでてお暇を願い出て、直ぐに京都に馳せ上り女敵を討つのでお前は女達を引き連れて親戚の元に立ち退きなさい、と言い捨てて出立すると、藤と文六は、ゆらもともどもに一緒に付き添って参りますと跡を追おうとする。 彦九郎は大きな眼(まなこ)に角を立て、町人風情一人に貴様達を引き連れていくなどと、この彦九郎に恥をかかせるつもりか、一人でも付いて来たならば勘当であると怒った。各自は一時にわっと泣き、それはあまりに無情で御座います、我等が為には姉の敵、私のためには母の仇、いや、私のためにも兄嫁の敵です、そのままに見捨てておくわけにはいきません、どうあっても一緒に連れて行って下さいませと、三人は一緒に手を合わせ、声を挙げて泣いたので、夫も今は心中の恋しさを押さえかねて、勇んでいた顔をくしゃくしゃの泣き顔にして、それほどまでに母、姉、兄嫁を大切と思うならばこういう処置を取らねばならぬ前に衣を着せて尼にするのだと何故に彼女の命を貰ってはくれなかったのだ。そう言いつつわっとばかりに亡骸に抱きつき、大声出して泣き出したのだ。残りの人々も一緒になって涙ながらに出立する。誠に哀れな話であるが、武士の身となれば致し方もなく、さても辛い習わしではあるのだ。 下 之 巻 寺御幸(てらごこう)麸屋富(ふやとみ)、柳堺(やなぎさかい)町、相(あい)の東は玉敷(たましき)の御垣(みかき)に圍(かこ)う五つ緒の車(くるま)烏丸(からすま)両替室(むろ)、衣(ころも)新釜(かま)西小川、油醒(さめ)が井堀(ほり)川の岸(きし)の平砂(へいさ)を白波に照らせば今も夏の夜の下立賣(しもたちうり)のほのぼの明(あけ)六月七日祇園会(ぎおんえ)の、長刀鉾(ほこ)の切っ先に打勝(うちかち)時の鶏鉾(にわとりぼこ)と、門出(かどで)を祝う力紙(ちからかみ、力士が身体を清めるために用いる紙)、拳を固め四辻(よつつじ)に四人さ迷い居たりけり。 普段でも賑わう上京であるが、折しも今日は祭り客が下(南)へ下へと朝霧の間に門を掃き清め、打ち水をして、この様な暇そうな姿は目立つであろうと、西と東に別々に別れ、立ち安らっている際に、豆腐を売っている商人が「切らず、切らず」と声高に売り声を発している声に耳を澄まし、往来の人の言葉で何気なく辻占をすると、心が臆してしまうかもしれないと心配しながら南無三宝とばかりに橋詰めに各自が寄ってくる。すると向こうから白川石を商うので卑しい女房たちが馬追いを引き連れて仲間を呼ぶのさえ同じ名前で、これお藤や、今日は商売を早くお仕舞にして祭り見物に行こうではないか、と気持が急かされてしまい馬に沓を履かせずに来てしまった。ああ、私も同様で、今朝は少し寝過ごして、こちらも沓を履かせずにきたよ。誰も今日は打たせなかったようだね、いっそ今日はその分でとっとと引いて帰りなさいな、と言ってからみんなしてどっと笑って通っていく。 京童が口癖にする悪口、家々毎の朝準備、萬に心を揉む、それではないが京都の人々が朝粥をすする音は比叡の山頂までも聞こえる、などと伝えているよ。都の朝の喧しさと言うものは何とも形容できない、と心が乱れるばかりなのだ。中でも藤は小声になって、皆さん方はどのように思われますか、先ほどの豆腐屋が「切らず、切らず」と売っていたのさえ心にかかっているその上に、今の石売の女房達が馬の沓が打てない、打てない、引いて帰れなどと言うのは如何にしても気懸りです。その上に、世間に同じ名前があるのは習いと言いながら、折も折りに一人をお藤と呼んで帰ったのは何事でありましょうか、味方の心が臆しては仕損ずるのは必定です、天道からの聞き知らせでしょうか。また明日の日もあるのですから、今日のところは一先ず先延ばしにしては如何でしょう、と言うと、皆が引っ込み思案になってきた。 この様な所に、西の橋詰の髪結床屋から散らし髪の若い衆が楊枝を咥えながらやって来る。そして友人と思われる相手と行きあったのだ。これは早朝から髪も結わずに何処に行かれるのです、と問いかければさればされば、祭に行くのだ、今日のよそ行き支度に月代を剃らせに行ったところ、さても切ったは切ったは、新しい剃刀の刃はまるで剣のよう、頭一面にめちゃくちゃに切った、あの職人の手にかかっては何人でも切りそうであるよ、これを見てご覧よと言えば、ああ切った、切った、これで客に行ったならば祇園祭ではなくて出陣の前に犠牲の血で軍神を祭り戦勝を祈る軍神(いくさかみ)の血祭りじゃ、と笑い合って別れたのだ。 四人は嬉しい辻占を聞いたことじゃ、聞いたよ、聞いた、北斗七星の鋒が変化して吉運が開けてきた、思わず笑いが込み上げて勇に心を鼓舞する心底は想像に難くはない。さあ、この運に乗って仇を撃たん、時刻を延ばすな心構えをし直せ、帯を締め直して身を軽くして、内の案内が分からないので此処で詳しい打ち合わせをしたところで無益の沙汰であるよ、二人は堀川表へ、小さな店に上がって障子を蹴破り、つっと中へ入れ。我々親子は立売の門口から中戸を蹴破って押し入る。面体を見知らない、人違いをするな、素直に仇討ちの理由を述べた上で、物の見事に相手を討ってしまおうぞ、早まっての騙し討ちで卑怯などと相手から言われるではない、合点か、合点じゃ、心得たか、心得た。さあ押し入ろう、と突っ立つった所へ、あれを御覧よ、油の小路をこちらに向かって蝋燭形の鑓鞘(やりさや)の鑓印、知行ならば三百石二十歳余りの若侍、軽くて薄く上品な茶宇縞の袴に捩肩衣(もじかたきぬ、麻糸で目を粗くおった布)が若党を三人程の鋏み箱持ちと二人の奴の草履持ち連れて、銀子三十枚と書いた包み紙を糊で貼り付けた進物台を携帯して敵の家の門、物申す、と言う声も訛りがあり、内からは下人が「どうれ」と答える。溝端に這いつくばって何事かを言っているが四人には無論聞こえない。ややしばし頭を振り振り口上を述べて、進上台を差し出すと、下人は受け取り腰をかがめて、そのまま内に入った。 文六は頭を掻き、ええ、拍子に乗っていた際に先を折る、どうしたらよいのだろうかと藻掻くのを、いやいや、屈するには及ばないぞ、武家方か公家方か、いずれにしてもそのような所で鼓を打った謝礼を届けに来たものであろう。あの若侍もこの家の主人の返事を聞いて帰るだけの事であり、邪魔が入る隙もないであろう。待ってみようと言っているうちに、先ほどの下人が戻ってきて、こちらへと言っている気配である。若侍が屋敷内に入ると、若党、中間、草履取り、槍を軒端に立てかけて皆が皆内に入ったのだ。如何にも悠長千万な振る舞いである。 外側から様子を伺おうと立ち寄ってみると、中戸を閉めて人の気配だけがしている。そこへ托鉢の道心者が「はっち、はっち」と門の前に立つ。下女の声がして「忙しいので通って行きなさいよ」と無用という声もつっけんどんで甲高い。すごすごと通過する法師に呼びかけて、これこれ御坊、御身の衣の破れはすっかり擦り切れていて、見苦しいぞ、この金子を報謝するので新しいのを買って、それは此処に脱いで置いていきなさいな、非人に与えれば喜ぶでありましょうよ。小判一両を与えると、夢ではないかと言った顔つきで、ああ、これは如来様かと思いましたよと、押し頂き、押し頂きして伏拝み、それでは御意のとくにいたしましょうと、古着を脱いで通ったのだ。