最初の一行を読んだ瞬間から、「これは!!!」と思う本があります。
今回出会った一冊は、まさにそれ。
「プレインアンドシンプル~アーミッシュと私」
(著者:スー・ベンダー /訳:伊藤礼/出版社:鹿島出版会 )
読み進むのがもったいなくて、ゆっくりゆっくり読みました。
おこがましいけど、なんだか私のために書かれたような本なのです。
高学歴の芸術家であり文筆家である筆者。
常に他の人より突出し特別であろうと努力してきた筆者が、とあるきっかけで、平凡さに価値を置く人々=アーミッシュに興味を持つ。
彼女が最初にアーミッシュ宅を訪れたときのこと。
最小限のモノしか置いていない、よく磨かれて掃除の行き届いた簡素な台所に入ったときのことを、彼女はこう記述する。
「・・・だが部屋は燃えていた。
毎日部屋を磨き整頓してもこうはならない。
空気は生きて震えているようだった。
部屋は脈動していた。
静寂がわきあがっていた」
「家が生きている」とも表現していた。
その感覚、よくわかる気がする。
「皿洗いはずっと嫌いな家事リストの上位に位置していた」と書く彼女にとって、価値のあることは、創作や仕事での自己実現などいわゆる「クリエイティブな」ことであり、皿洗いなどのいわゆる「家事」は、やる価値のない退屈な雑用にづぎなかった。
そんな彼女が、アーミッシュの女達と暮らしを共にすることによって、だんだんと変わってくる。
アーミッシュの人たちにとっては、仕事の貴賎というものが存在していない。
農作業であれ賃労働であれ、家事であれ子育てであれ、仕事はすべて尊いもの。
「仕事は個人の成功や進歩のための踏み石というふうに考えられているのではない」
「仕事のあらゆる段階に、詩的な性質がある。
道具を磨くことに対しては誰も金を払ってくれない。
ところがこれが本当の芸術的行為なんだ」
「どんな仕事でも、どういう精神でやるかで違いが生まれる。
どんな種類の仕事でも、意味ある仕事にありうることをアーミッシュは私に示してくれた」
アーミッシュとの暮らしを経て都会の暮らしに戻った筆者は、こう書く。
「家事は変わらないが、家事に対する私の態度は変わった」と。
食事を作り、片づけをし、掃除をし、朝の散歩に出る。
そんな単純な日課でも、それは充分にクリエイティブで、「聖なる暮らし」で、充実した暮らしなのだと。
そうやって、以前は雑用にすぎなかった暮らしの雑事や家事の数々が、瞑想となっていく。
「思いがけず私は家の掃除をはじめていた。
私は原稿書きのかたわら家の手入れをした。
このふたつにはどこか結びつきがあった。
私は部屋の隅々に入り、棚を空にし、壁をこすり、窓を洗い床を磨いた。
仕事はみな楽しかった。
原稿を書く妨げになるどころか助けになった。
私に本当に必要なものは何か。アイデアがどんどん湧いてきた。
不要なものを捨て去ったとき、家は生き生きしてきた。
なにも変わらないのにすべてが変わった。
特別なことはなにもしないのに、すべてが特別になった」(エピローグより)
私も「生きた家」をつくろう。
そのために、不要なものを捨て去ろう。
ほんとうに「せいなるくらし」をいとなむのだ。
ページをめくるたびに、心が「しん」となるような深い言葉に出会える本書を、おすすめします。