テーマ:心おだやかに 生きる(624)
カテゴリ:せいなるくらし
昨日のこと。
夕方6時まで仕事をし、スーパーに走りこんで夕食の材料を買い集める。 とても疲れていた。 最後の力を振り絞って夕食の準備完了。 そこで娘(小二)がひとこと。 「え~やだな~!こんなごはん」 カチンときました。 「いやなら食べなくてもいいよ」と言うと、娘は鼻をつまんで食べ始めた。 さらにカチンときました。 「本日私は仕事で大変疲れており、かつ大変機嫌が悪い」という前置きを伝えた上で、私は娘の態度が大変不愉快であることを静かに伝えた。 たぶんかなりの迫力があったであろう。 そのあと娘はおばあちゃんの部屋にしばらくこもった。 私は夜の8時半に寝てしまった。 翌朝になっても、まだ腹が立っていた。 私はまだまだ家事に対する見返りを期待しているのだろうか。 疲れている上に大変な思いをして作った夕食なのだから、賞賛されるかねぎらわれるべきと思っているのだろうか。 なのに正当な評価がされないなんて、「なんてかわいそうな私」と悲劇の主人公になってるのだろうか。 (たぶん、そのとうりだ) そのときふと、昔出会ったある言葉を思い出した。 「なぜ人に認められることを気にする? 外からの承認は、自分の仕事を愛していないときだけ意味を持つ。 なぜならそれは埋め合わせをするだろう。 あなたは仕事を嫌っていて、それが好きではない。 でも承認があるから、人に誉められ受け入れられるから、それをやっている。 人に認められることを考えるより、自分の仕事について、もういちど考えてみなさい。 それを愛しているか?・・・そしたらそれで充分だ。 もし愛していなかったら、変えなさい」 (和尚 Copyright 2006 Osho International Foundation) Yes、和尚。 そういたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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