カテゴリ:せいなるくらし
今日は仕事がお休み。
朝から「今日一日」何しようかな!とわくわくしながら、なにげなく見てしまったDVDがいけなかった。 友人が録画・編集してくれた「オーラの泉ベスト版」(?)DVDにはまってしまい、なんとゲスト四人分も見ちゃった。。。 (これで今日一日終わったようなもんです) 特に印象的だったのが、的場浩司という役者さんがゲストの回。 (昔よくツッパリ役でTV出てた人ですね) この人は、本当に誠実な人なのだ、ということが伝わってきた。 誠実さとは、その人の言っていることと日々の行動との矛盾がない、ということだ。 その人自身が虚飾なくオープンで、謙虚で、うそがない感じ。 それに比べて、某格闘家の方がゲストのときは、言葉ではスピリチュアルで高尚なことをたくさん言っているのだけど、ただ言葉が空回りしているのが手にとるようにわかってしまう。 言葉にその人自身が「ついていっていない」感じは、すぐにばれてしまう。 彼(その某格闘家の方)のことは嫌いじゃないのだけど、見ていて痛々しかった。 その彼に向かってスピリチュアルの御大お二人(もちろんあの方とあの方です)が 「里の行をなさい」 とのアドバイスをしていた。 人里はなれた山にこもって修行するとか、世間に背を向けて書物にこもって学問するとかの「行」ではなく、俗世間の中で人や家族にまみれて日々をすごすことを修行としなさい、という意味だ。 この一言は、かなり自分に刺さった。 自分にも思い当たることが大いにあるからだ。 人にどう評価されるかとか、仕事でどれだけの成果をあげるかとか、そんなことについ価値を置いてしまう自分。 日々の暮らしの中にではなく、書物やインターネットの中やワークショップや「えらい人」などの中に、「学ぶものがある」と価値を置いてしまう自分。 それになんと言っても、口ではえらそうなことを言っていても、日々の行動が・・・(とほほ)。 私にも「里の行」が必要だ。 お掃除したり料理したり後片付けしたり、家族や人々とのごたごたしたつきあいのなかに、ほんとうの「行」があるのだろう。 道元禅師がおっしゃった「日々の行持(にちにちのぎょうじ)」とは、そういうことだろうか。 日々の暮らしの中の行持(行い・・・たぶん食べることや排泄することも含めて)が、そのまま仏祖への報恩であるという意味であるらしいが。 「里の行」がきっちりできている人が、本当の意味で地に足のついている人であり、言葉と行動の矛盾していない誠実な人なんだとあらためて思った。 掃除や洗濯が好きだという的場浩司さんには、感動的なほどそれを感じたのだ。 こうしてまた、お掃除やお料理などの「お金にならないお仕事」=「日々の行持」こそを、「聖なるお仕事」としてちゃんと取り組みなさいという指令が、改めて私にくだったのであった。 どこから? たぶん、天から。。。でしょうな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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