カテゴリ:せいなるくらし
先日見に行った芝居「ソウル市民昭和望郷編」、観劇後時間がたつにつれ、じわじわと感慨がある。
感動した!ってかんじではなく、なんともいや~な不気味な感覚が強くなる。 いろいろと劇評を読んでいると、 「悪意なき市井の人々の静かな傲慢さ」 という一言があり、これが実にぴったりくる言葉だ。 早速平田オリザの本を2冊借りて一気に読んでしまった。 著書の中で彼は「対話と会話は違う」と繰り返し指摘している。 「対話は自分とは異なる価値観を持つ他者と、会話は内輪で行うおしゃべりを指します」 (↑インタビュー「あなたを理解できない。だから対話する」より) 「内輪だけのおしゃべり」化社会の傾向はたしかに強いよなあ。 昨今のケータイとメールの普及が拍車をかけている気もする(己を振り返ってもそう思う)。 人々の間に「対話」がなくなってきたからこそ、異質な他者を排除するいじめの構造がより陰湿になってきているのかな。 教育基本法の改正(悪)が成立してしまった今朝、 「せめて3世代4世代先の子どもたちのためにも、<対話ある社会>をつくらなくちゃ」 なんてまじめに考えてしまった。 しかしまずは自分の日々の暮らしから。。。ですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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