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清掃生活 * seinarukurashi

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2007.12.12
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カテゴリ:せいなるくらし
念願の「一番さん」(霊山寺)にお参りできて、満足だったはずなのに気が晴れない私。
結局自分の「願い」がこんがらがって、最後にお願いしたのは

「いいしごとができますように」

というようなもの。
(おかげさまでその後のお仕事はうまくいったのだけど)

今回お参りするときは、いわゆる「家内安全・商売繁盛・願望成就」というような現世利益的な「お願い」は「なし」にしようと心に決めていた。

しかし、どのような「お願い」をひねり出しても、それは結局私利私欲的な臭いがぷんぷんする。
「清い願い」を模索すればするほど、自分が穢れていくような気がするのだ。

そんなふうにずっともやもやと考えて、すっかり疲れて行き詰ったとき、ふと「その考え」がやってきた。


願われているのは私ではないか。


…それは不思議な瞬間だった。
「あ、そうか!」と一気に気が晴れるような。

「私が」願うから、エゴでしかないんだ。
どんな願いも「私が」するかぎり、私利私欲でしかないんだ(「たとえ世界人類みんなが幸福でありますように」と願ったとしても)。

願われているのは、私のほうだ。
私はその「あちら側」からの願いにこたえるしかないではないか。

これは人に説明するのは難しい感覚だ(だからうまく説明できない)。
この、主客が逆転する感じ。

尊い、そして得がたい体験をさせてもらった。

縁あってこの地を訪れることができたことに、心から感謝している。

0712衣.JPG






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Last updated  2007.12.12 09:01:27
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