カテゴリ:せいなるくらし
大阪出張~京都帰省の旅から、無事帰還。
ほんとうに楽しい家族旅行&帰省だった。 さて、旅行中宿泊したホテルでのこと。 朝、ベッドや浴衣をぐちゃぐちゃに放り出したまま出かけようとする娘に 「少しきれいに整えてから出かけない?」 と提案した。 「どうしてしなきゃならないの? だってお掃除の人がきれいにやってくれるでしょ?」 と、娘。 「たしかにそうだね。でもそれは、人としてさあ…」 そのあと、どう言葉をつなげたのか覚えていない。 でも、ふと思ったのだ。 「どうして掃除しなきゃならないの?」 「どうして家事をしなきゃならないの?」 「どうして挨拶しなきゃならないの?」 「どうしてごはん食べるときにちゃんと座らなきゃならないの?」 「どうして勉強しなきゃならないの?」 それらの問いは、私のなかにも若い頃からずっとあったものだ。 今だってある。 それらの問いから逃げたくて、あるいは反発して、掃除も家事も礼儀作法も親戚づきあいも勉強も、やりたくないことはずっと忌み嫌って避けてきたのだ。 人は、やりたいことだけをやればよいのだと思って生きてきた。 だから近所づきあいも親戚づきあいも、意見価値観がちがう人との交流も、めんどうくさいことやしんどいことは、ずっと避けてきた。 そういうわけで夫や自分の親戚づきあいも、無意識的に避けてきた。 「どうしてつきあわなくちゃならないの?」と。 まったく子どもだよなあ、と、今は思う。 最近息子が、学校の三者面談の場で 「どうして英語の勉強しなきゃならないんですか」 と先生に問うていた。 そのときも、私は思ったのだ。 『大事な問いだね。 だから、ちゃんと答えていくんだよ 時間がかかってもいいから』 と。 自分がちゃんと答えられているかどうか、はなはだ自信はない。 しかしそういう問いに、真正面から答えていけるよう手助けしたり、 その問いにちゃんと答えながら生きている私自身の姿を見せることが、 親としての大事な役割なのだと、最近つくづく思う。 掃除や家事や挨拶や人付き合いや勉強やなんやかやと日々どうつきあっていくかが、すなわち生きていくことなんだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.08.12 17:25:47
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