カテゴリ:せいなるくらし
前回のエントリー(といってももう8ヶ月も前、昨年暮れ)にあるように、52歳で思春期の終わりの兆しを感じ、そしてその予言どおり、53歳は大人になる入り口で葛藤することになった。
今年の春に、母が認知症であることが判明した。 いつまでも反抗と反発をしてばかりの思春期では当然いられなくなったわけで、これは必然であり当たり前のこと。 そのことを受け入れるのにずいぶん時間がかかっている。 思春期の後には大人になるイニシエーションが続々と待ち構えているのであって、それをいやだとかつらいとか言っているあいだにも人生は進んでいくのだ。 母のことで春からいろいろあって、いろいろありすぎて、パニックになったり不安のあまり眠れないこともあったけど、今はずいぶん落ち着いている。 今、つかのまの落ち着きの時間。 子どもたちはそれぞれ高校と大学に進み、順調。 私も夫も病気せず仕事も失うことなく、順調。 母も、認知症(進行性非流暢性失語症)と診断されたが、一時の混乱期を経て今は週三回のデイサービスと週4回の喫茶店通いのリズムができてきて、日常生活は食事も排泄も自分でできるし、洗濯物を干したりたたんだり食器洗いもしてくれるし、特に困っていることはない。まあ、順調。 家族に恵まれ、仕事に恵まれ、環境に恵まれ、健康に恵まれている。 何も困ることはないではないですか。 でも心の奥底で、神様、あなたをずっと探していました。 私に信仰があればどんなに良かっただろう、と。 今も探しています。 昔、ユミちゃんがメールで送ってくれた。 「それはもう出会っているんだよ。 神様が、もう見つけてくれているよ」 ユミちゃんは神様のところに行けたのだろうな。 死ぬのがこわくないよって言っていた。 今、やけにそんなことを思い出す。 私は死ぬまでに、神様に出会うことができるのかな? (もう出会ってるよって、ユミちゃんが言っている気がするけど) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.08.17 15:50:25
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