「阿弥陀堂だより」
お葬式から帰ると、娘のバースデーが待っていた。ケーキを食べて家族でお祝いをする。年若いいとこの死を経た後も、あたりまえのことだが、日常はこんなふうにたんたんと続いてゆくのだった。掃除をして食事をつくって洗濯物を干す。そんな営みこそが、尊いことなんだよなあ。なんてしみじみと思ってしまうのは、出張先に向かう車中で「阿弥陀堂だより」(文春文庫)を読んだからだろうか。映画にもなったこの作品は、「良いよ~」とほうぼうで評判をきいていた。しかしこれまでは、わざわざ手にとって読むほどのモチベーションもおこらず、映画のDVDも原作本も手にとるタイミングを逸し、そのままになっていた。年下のいとこが突然亡くなった直後、ほとんど発作的に、書店で同書を求めた。「言葉をもてあそぶ前に、自分にはやっておかねばならないことがある、と孝夫は明確に気づいていた。(略)自分がどれだけの器であるのかをここで冷静に測り直し、その分に合った発言をしたかった。(略)もう一度舞台の裏に戻り、踵を地に付けた身長を測ってみたい。その小ささを知りたい」 (「阿弥陀堂だより」より)この作品の中には、頭の中でこねくりまわしたような空疎な理屈ではない、大地に足をつけた豊かな人々の暮らしと言葉がある。自分の小ささを、ちゃんと知らねばならない。「理屈はあとにして、手足をフルに使って人間らしく生きる基本」を営む日々からこそ、「ほんとうにたよりになる言葉」を紡ぐことができるのだ。