571998 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

線路脇のカメラマンのブログ

線路脇のカメラマンのブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Calendar

Profile

線路脇のカメラマン

線路脇のカメラマン

Comments

オジン0523@ Re:生田緑地のD51(09/26) 奇麗に保存されていますね。 このようなも…
線路脇のカメラマン@ Re[1]:富山の路面電車(2)(10/09) 風旅記さんへ こんにちは、伊豆と北陸は反…
風旅記@ Re:富山の路面電車(2)(10/09) こんにちは。 富山の路面電車、乗っていて…
線路脇のカメラマン@ Re[1]:E261系サフィール踊り子車内(04/22) 株式会社JCPLAN 坂本さんへ 返事が遅くな…
aki@ Re:ライドシェア(01/18) この様な書込大変失礼致します。日本も当…

Archives

Recent Posts

2024/03/04
XML
カテゴリ:作品展示会

●戦国時代の伊東

久しぶりに「伊東市文化財管理センター」に行ってみると、「戦国時代の伊東」と題した展示が開催されていた。





大昔の伊豆半島は、噴火や地殻変動があった時期なので人間が住み始めたのは30000年前の旧石器時代からだったようだ。








館内には伊東市内の井戸川や竹の台、湯川遺跡から出土した陶磁器なども展示されている。






大室山が噴火した4000年前には、宇佐美や三ノ原にも狩りをしていた弓矢や土器が発見されているので海沿いには小さな集落があったようだ。








今回の展示を見ると「伊東」という地名にもなった伊東氏が当地を支配していたこと、明応2年(1493年)に伊勢宗瑞(北条早雲)の伊豆侵攻により100年にわたり北条氏の支配下に置かれたことが解る。






この間にも勢力争いのために築かれた「宇佐美城」や先日山登りをしながら訪れた「鎌田城」なども存在した。






























その後は、豊臣秀吉の小田原城攻略により北条氏は敗れ、伊豆は徳川家康の領地となり江戸時代に入った。










今回は、この当時の古文書などの資料が展示されている。










展示されている手紙など実際にこのような物を見ると実感が湧く思いがする。

 











 






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024/03/04 12:10:09 AM
コメント(0) | コメントを書く
[作品展示会] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X