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カテゴリ:韓国
清渓川博物館というのがあるとは知らなかったのですが、通り際に発見したわけですよ。
入場無料というので入ってみました。 Wikipediaの清渓川記事 清渓川について上のリンクをご覧になれば、どういう川なのか分かると思いますが、簡単に説明しますと
その後復元事業でキレイで観光地としての清渓川ができました。 その事業を推進した李明博ソウル市長は、韓国大統領選に出て、当選を果たすわけです。 で、博物館に行って上記1から4までのこと、とくに3番の事実に驚きました。極貧のスラム街がソウルの真ん中に存在していたということに。ソウル各所に「タルトンネ」と呼ばれるゆるい貧民街が存在したのですが、それは清渓川スラム街撤去で追いやられた人の行き場だったということです。 (今日はタルトンネもほとんどアパート開発された) いや、僕は思いましたよ。 ソウルのど真ん中にこんな貧民窟があった事実。それは朝鮮戦争で焼け出された避難民が暮らしたところ。 日本の植民地から解放された後、すぐに民族同士の悲惨な戦争。 そして世界的最貧国の陥った事実を首都ソウルのど真ん中で突きつけられた格好。 再び韓国の反日について考えた 上記の記事で書いた民族自尊心の問題、ずたずたになったんだろうと思わざる得ません。 戦争の避難民、今もシリア難民のことが伝わってきますが、それは日常を職業を家を失う、時には家族まで戦火で失う大悲劇で。 スラム街撤去後も清渓川周辺には劣悪な環境で働かされる工場があり、当時多くの若者達がそこで働き、韓国の輸出産業を伸ばしてきたという事実もあります。東大門市場もそういう歴史を経て今日に至っています。 そんなことを思い、清渓川博物館を後にしたのですが、その周辺には小さな町工場が今も並び、その頃から時が止まってしまったような街で、今も多くの人が働いている姿を目にしました。 もちろんそんな小さな町工場は、今までたくさん見てきましたし、僕自身関わりを持って生きてきたこともあります。 しかし、こうして改めて考えると、まだまだ環境が残っているだけでなく、人々の心の傷跡として残っているのでは思われるわけです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.01.05 12:55:52
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