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2015.10.31
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カテゴリ:家族

ピンクハート今日、10月31日は次男の誕生日だ。ピンクハート

今日は次男の要望でケーキを買いに行ってきた。

ところがスーパーの中のケーキ屋さんだったので

先にケーキを買った後おかずを見てるうちに

ケーキのことが頭から抜けてしまって、

落としてしまったことにも気づかず、

気付いたらケーキ屋さんに届いていた。

だから中はこんな風に崩れてしまい、がっかり・・・


  P1040551-001 (640x430).jpg

 

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巷では今日はハロウィンだと言ってテレビやお店で大騒ぎだ。

しかし、私が次男を出産した今から28年前はそんな行事はなかった。

今日は寒い日、青森はまさに晩秋。

次男が産まれ日も紅葉の美しい寒い土曜日だった。

私は二回目のお産だった。

最初は期待通りに長男が産まれ、皆が言うのは「次は女の子がいいね」だった。

私もそんな期待がかなり強く、妊娠中にベビー服を見るたび女の子のものにばかり目が行き、買うのを必死で我慢していた。

長男がかっちり予定日に産まれたので又そうだろうと思ってベビー服を編んでいたのだが、二人目と言うのは一人目の面倒を見ながらのせいもあり疲れて進まず、そんな中やたらと胎動がきつく、夜中に何度もお腹を激しく蹴られ、痛くて何度も驚いて夜中に起きるほどだった。

7ヵ月のとき一度逆子になり心配したが産み月には戻り、長男の時に貧血だったので、次男の時は一生懸命にレバーの焼き鳥を食べて大丈夫でこぎつけた。

しかし、私の勘で、この子はもしや男では?早く産まれるのでは?

勘的中で、予定日の2週間ほど前に夜中からお腹の調子がおかしくなり朝になったら完全にもうお尻をおさえて体を前にかがめなければ歩けないほど、出そうに・・・

その日は単身赴任の夫が運よく帰ってきていた土曜日だったので、夫の車で病院へ。

助産師は「この人はもう始まってるから浣腸なし、すぐ分娩室へ」って。

そして、土曜日なので「さあ、午前中のうちに二時間で産ませるよ、旦那さんに産まれるまで待っていてもらいますか?」と聞かれ「いいです、帰ってもらって」って私は言ったのを後に後悔した。

子宮口を無理に広げたせいもあり、陣痛は順調にものすごいスピードで進み、本当に午前11時56分にはしっかり産まれた。

「ほ~~ら男の子~!」って耳元で。

“ああ、女の子じゃなかったのか・・・”って内心がっかり感・・・

でも、元気で産まれてきてくれてよかったという安堵感でいっぱいになった。

長男とは違う丸顔で血色のいい愛嬌のある子だった。

後で後悔して思った。

運よく単身赴任の夫がいる土曜日に送ってもらって、そのたった二時間後に産まれたのなら湯気の出てる状態の次男を夫の腕に抱かせてやればよかったと・・

そんな子は胸が弱く、一歳になる前に上気道炎で入院、小学二年の時には肺炎と、私は息子の入院の看病を何度もして大変だった。

皮膚も弱く、虫刺されや日光にも気遣い医者通いばかり、でも純粋で明るい子だった。

ところが、次男が中学に入るとき学区のせいで次男のクラスの中でほとんどの子が別の中学に行った。

それをしなくてもいい方法としては市役所の学務課で書類を書いて申請しなくてはならなかった。

私は長男もそのまま申請なしに行った中学に次男も行かせた。

ところが次男はおかしくなった。

ほとんどの友達が行く中学に行けなかった次男は暗くなり、結果友達関係で躓いた。

そのことが原因であることがきっかけで次男はいじめに遭った。

それを知ったのは彼が告白するまで半年以上経っていて、3年受験期秋だった。

それまでの奇行は私も変だとは思っていたが、まさか自分の子が・・・だった。

髪の毛を10円剥げのようにあちこち切って部屋に散らかってたり、首を切った人形を部屋にぶら下げていたり、お腹が痛いと言い、私にお腹をさすらせたり、何日も仮病のように頭が痛いと言い、不登校になった。

私は受験のことが気がかりなのと学校に「又休みます」と言うのが辛く、子供を何度も叱咤激励したり、内科に連れて行ったがらちが明かない日々だった。

そんな時、次男はある日の夜突然「明日からもう学校に行かない!」としっかり宣言し、私にいじめの実態を泣きながら話した。

本当にかわいそうだった。

いじめた子はクラスでも優秀な子で、私の前でも平気でいい子ぶって陰で次男にお金を要求していたらしかった。

私はすべて学校に話し、関係する二組の両親と子供たちが我が家に謝罪、担任も学年主任も謝罪に来た。

この学校は一時荒れた学校としてレッテルが貼られていたが、その後は収まっていたので、再びと言うことで学校ぐるみでこうしてしっかり対処してくれたのだった。

不登校生を集めてるような施設に連れて行こうともしたが、主任の先生が悪い子と知り合うきっかけになったり、薬漬けになって抜けられなくなった子を知ってるからやめた方がいいと言い、私もそういった薬だけは飲ませず、「お前は病気じゃないよ。大丈夫だよ。しっか立ち直れるはずだよ。」と励まして頑張って耐えた。

親の私は布団の中で毎日不眠で睡眠薬を飲みたいのを必死でこらえ、思い出しては泣いてばかりいた日々だった。

私も自分の趣味も当時すっかり辞めたのだった。

次男はその後、なんとか塾に行って公立高校に入ったが、人間不信で友達は作ろうとせず、勝手に早退したことが何度もあり、担任に心配させた。

その後は県外の北海道の専門学校に行き、親の反対も聞かず本人希望で一人アパート暮らしをさせたが、そこでも不可解なないじめに遭い、殺されそうになったとまで言うのでこれは退学やむなしと家に連れ戻した。

心が立ち直るには時間がかかると思い、再び1年程時間稼ぎの意味で近くの専門学校へ。

その後はアルバイト、非正規雇用点々で今に至る。

しかし、今の職場は非正規ではあるが、人間関係がいいのか、一言も愚痴を言わず辞めたくないと言い、まじめに出勤している。

親としては今日で28歳になった息子がまだ非正規社員でいいのかと心配でしょうがない。

命を絶つなどということなく、いつかあの子が本当にやりたいことをみつけて自分から立ち上がるのを待つしかない。

その次男はこの壊れたケーキを急いで私とつまんで、さっさと中学時代の大学卒業後に県外に就職した唯一の親友のところに今遊びに行っている。

友達がいる、それは何よりもの救いだと思う。

 

 

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これは我が家に秋に咲いたバラ(芳醇という名前)だ。

次男が産まれた日に夫が病室に持ってきた花は

ピンクのバラの花束だった。

お世話になった病院にお礼として置いてきたのだった。

ピンクのバラを見ると今も懐かしい気持ちになる。

我が家のバラはほとんどピンクだ。


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Last updated  2015.10.31 18:09:54
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