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2018.12.12
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カテゴリ:家族
​​​負の連鎖と言うものを感じた。​

親と子は性格が似る、それは遺伝子だからしかたない。
しかし、それもそうだが、親の生き方が子供に反映すると言えると今回ほど感じたことはない。
私の弟が先日から明日まで帰省している。
それも妻や子を置いて単身で。
それはなぜかと言うと弟に言わせれば❝私のせい❞なのだ。
私が弟に送ったパソコンメールが自分を傷つけたと私にくってかかってきた。

実は、今年の正月に弟夫婦が帰省して朝早く帰るとき、あまりの騒がしさに床から起きた母が畳で足を滑らせてあばら骨を骨折した。
弟家族が東京に帰るときの駅への送りは私の夫がしてやり、その後何度か母の容態を気にして申し訳なかったというメールをパソコンとか携帯で弟から私はもらったので容体を時々伝えていた。
あの頃は母は痛さの辛さのあまり、毎日夜中に唸り声をさせて苦しがり私たち家族は大変だった。
しかし、どんなに苦しくても母は娘の私を絶対に頼ろうともせずむしろ拒絶した。
せっかく髪が洗えないならとドライシャンプーなるものを探して買ってあげ私がシャンプーしてあげてもいいと言っても全く言うことを聞かず何か月も髪も洗うことを母は拒否。(結局それは全く使わずじまいだった)
そして昼は唸りながら背もたれのあるリビングの椅子にすわったまま母は目をつぶって唸ってばかりいて一向に動こうともしなかった。
そうしてるうちに母のふくらはぎは血が下がって腫れてエコノミー症候群のようになってきた。
父が何度も「少し歩いて血行をよくしろ」と言っても母は強情で全く動かず、床に寝ると起きるのが辛いからと椅子にばかり、もう一個椅子を持ってきて足を上げてやったり、夜中に隣に寝ている父が母の足を揉み続けツボ押しをしてさすっていたらしい。
90歳の父は獣医師の免許を持つ公務員だったため、医学の知識があるので健康についてかなり研究している。
未だに父は運転して買い物してきて、食べるものも2人分の料理を台所で作るので、私は全く手を出す必要がない。
夫婦の絆や親のプライドが強すぎてむしろ私は母のために何もしてあげることを許されなかったと言うほうが正しいかもしれない。
例え一緒に住んでいても子供に頭を下げて世話になるような両親ではないのだ。
母は洗濯や食べたものの洗い物はコルセットを撒いて唸りながらも一人でやり、私に何も頼もうとはしなかったのだからしょうがない。
しかし、私はその前の何日か弟家族が帰省して世話をしたために老人の疲れがどっと出てきていたのを母が弟家族が出かけている間に私にこっそりとよく愚痴をこぼして聞いていた。
それは弟が晩婚で結婚してから今までずっと続いていた年中行事だったのだ。

あまりにも母の様子がひどすぎて身勝手な弟が許せなくなってしまった私は弟宛てにパソコンでメールした。
今のままでは母は息子かわいさのために自分を犠牲にして尽くして体を壊すから弟に自重してもらいたく、辛口の厳しいメールをしたのだ。
「姉である私でなければあなたに言う人がいない、あなたは言わなければわからないから」と。
結構長い文章になってしまったので、これはそのままメール文にしてはまずいと思いワードを立ち上げPDFファイルにして送信した。
そしたらその当時は「私なりに理解しました、すみませんでした」であった。

それでも半年ほどして母の容態は徐々に良くなり今日になりすっかり元気に。
様子見に弟は夏にも単身で帰ってきた。
その時は何事もなく和気あいあいと何日か休んで仕事の話を私も一緒に聞いて楽しんで弟は又冬に一人で来ると言って帰って行った。
そして今回の帰省となったのだ。

それがだ、帰省した日のうちに自分の中学時代の友達たちと飲み会に行き、一晩明けてから弟の態度が私にひどかった。
目つきまで軽蔑したような目で不快で威張った態度だった。
「なんで、あんなメールよこしたんだ!」と始まった。
何を今更?と私は思ったわけだが、「俺はあのメールを読んですごくショックを受けて体が震えて、○子さん(奥さん)にも見せたら彼女もショックを受けて二人で泣いたんだ、母親が骨折したのは俺のせいじゃないだろ!自分で書いた文章読んでみろよ!あんたの文章は感情を理屈に変えただけだ」と言うのだ。
私はあきれた。
あの程度の文章で?しかもそのまま妻に見せた?
PDFにしておいたのは、一人の胸に収めて心で整理してから妻に上手に伝えるのが大人ではないのかと私は弟を信じていたが、そんな分別のある人間ではない激情型の人間であることが改めて今更ながらわかり、弟をもう少し大人だとかいかぶっていたことに私は非常にがっかりした。

「あんたがどんなにひどいことを言ったかわかっているのか!俺はもう○子さんを連れてこれないと思った、どうして自分の実家に帰ってきちゃいけないんだ!俺は長男だ、うちの○子さんは長男の嫁だ。あんたは他に嫁に行った人間だ、大体なんであんたがここの家に住んでるんだ!」と言ったのには驚いてショックだった。
私は「今更そんなことを言うの?私がこの家に入ったのはあんたが独身で家に戻ってこないと悟ったから親と二世帯で住むことになったのをあんたも聞いてるはずだ」
そう言ったら弟は「俺はそんなこと聞いてない!」と平気で嘘を言った。
以前は「聞いてるよ、わかってるよ」と言い、親が死んだら仏壇をだれが見るかと話したこともあったが私たちが預かることになるのか?と言ったら「しかたないでしょう?だって一緒にあんたが住んでるんだから」とまで言ったのだ。

そんな姉と弟の話に今度は父がはまってきた。
そして父は全面的に弟の味方をしたのだ。
父は母と毎日二人で食事して私たちと台所が別で食事が別なので、弟が来ると一緒に酒を飲んで弟の仕事の頑張りの話を聞いて嬉しく、弟もいろんな知識のある父から得られるものを期待してくるということだ。
それはいいのだが、今回のように私が弟に送信したメール内容は姉と弟二人だけの秘密のつもりで書いたものだった。
しかし、弟は平気でそのまま妻に見せ、そのことを自分の友人たちに話して同情をかい、「そんなに小姑の姉が嫌がってるなら自分のところに泊まればいい」と言ってくれたとまで言い、当然私がいないところで父にもそれを話していたのだ。

弟は昔から人の機嫌を取るのがうまかった。
自分の味方を作る天才だ。
自分をかわいそうに演じ、同情をかい、学生時代も親によくお金をせびっていた。
弟は昔から勉強も運動もトップで演劇もやり、美術の才能があり、親にとっては自慢の息子だった。
どんなに親に反対されても反抗して美術をやりたくて根負けして親は浪人させてお金のかかる私立の大学に入れ、美術の専門学校にも入れ、仕事についたあとも文化庁の派遣のために親にお金をせびってアメリカとイギリスに留学した。
だから現在の弟の地位があるのだ。
こんなふうにおそらく芸術で大成している人は皆親にお金をたくさん出させて成功している人が多いのではないかと思う。
大した金持ちでもない我が家は弟にたくさんのお金をつぎ込んだと言っても過言ではない。
その陰で私が何と言われてきたことか。。。
「男の子は大学にやらないわけにいかない、男に金がかかるからお前のような女など大学に行かなくてよい、行くなら短大などおしゃれをするだけでくだらないから行くなら国立の4年制の大学に行くならやる、何の取り柄もないやつが大学に行くって言うのが一番困る」とまで言われた。
父は完全な男女差別、パワハラ、親のエゴだった。
そして母は父の都合の良い言いなりの妻だった。
結果私は意地で入った国立大学だったが、自分がやりたいことではなかったので大した就職もできなかった。

そうして私の弟は結局夢を叶え、美術芸能関係の仕事をして大成して、その嫁も声優である。
つまり、芸能界にどっぷりつかっている今やネット検索すればバッチリ出てくる有名人たちだ。
こんな田舎にいて友達にそんな話をすると「すご~~~い!」とミーハー的に目をキラキラさせる人がなんと多いことか。
でも、現実は、そんな有名人を家族に持つということは決して気持ちのいいものではないと言うのが本音だ。

弟は自分が特別な存在であることにプライドを持ち、私などと言う普通の人間を見下している。
弟は私にむかってこう言ったのだ。
「俺は芸術家だよ、繊細なんだよ」と言った。
私に「俺は人をたくさん使って仕事してるんだよ。うちの○子さん(弟は嫁の名前をさん付けでいつも呼ぶ)だって今はすごいんだよ、立派な仕事して友達だってたくさんいるんだよ」
そして続けざまに私に「あんたに友達なんかいるの?あんたなんかろくに仕事もしたことがないくせになんだよ」と言い放った。
完全に専業主婦への侮辱をし、姉をバカにした。
私は「友達って何?そんなに必要?そんなにたくさんはいらないし、私にも自分に合う人は少ないけどいるわよ。でも人は裏切ることもある、結局信じられるのは最後は自分だけでしょ」と言った。

それでもなお、父は自分が金を出して成功して自分をおだててくれる弟のほうが私なんかよりずっと自慢でかわいいので私を弟と一緒に責めて来た。

「お前は年寄りをバカにして世話してやるから言うこと聞けみたいな態度に感じる」と父は私に言うのだ。
普段一緒に住んでいて似た者同士の性格の父と私はよくぶつかるが、あまりにも自分を被害妄想しすぎだ。
むしろ父は私が行ってる病院がいいと聞けば私の後を追いかけて歯医者も内科も皆私と同じところに変えてしまった。
自分で名医を探せないで私の真似ばかりして、結果的には満足している。
おまけに最近は90にもなってるのでまさかと思ったが私と同じジムに通いたいと言い、私が教えたら結局申し込んで今通っている。
ジムの人も「90にもなってジムに来る人は初めてだ」と言ったそうで身体能力は83歳だと言われたと喜んでいたし、腰の調子もいいと喜んでいた。
皆私の真似をしたおかげじゃないか!と言いたい。

要するに親と一緒に住んでる娘は損する。
優秀な弟を持つ姉は損する。
多分、私が「巨人の星」の星飛雄馬の姉のような性格だったら漫画になることだろうに、残念でした。。。

これは、父に幼少期のトラウマがあるせいなのだ。
父の実家は農家で、父の上に長男である兄がいて(25歳の若さで亡くなったが)、父はそのすぐ下の次男で家族に邪魔にされ育った。
その後父はサラリーマンになったが、妹が三人もいて上の妹が婿養子をとってしまったため、自分は家を出された。
ところが、うちの父はよく酒を飲んで遅くなると実家に泊まりたがる癖があり、そうすると妹が嫌がったと言うのだ。
それで、そのときの悔しさが私の弟に自分を重ね合わせ、私に自分の妹を重ね合わせているのだ。

私はしかたなく弟に面倒だから「ごめんなさい」と言った。
そしたら急に父と弟の機嫌が直った。
でも、今回で私の心は完全に冷めた。
これからは、親子と言えども姉弟と言えども警戒心をもって接しなくてはいけない、完全に心を開いて仲良くなどできないだろうとしっかりと心に刻んだ。


弟は来年の3月に三度目の絵の個展をまた開くらしい。
「あんたは画家になりたいのか?」とたずねたら、「描きたい衝動で描いてる、趣味でもないし、儲けたいからでもない」と言った。

聞いたら弟の絵は自分の子供(来年中学生になる障害児)が原点と知った。
つまり、絵の中に出てくる架空のキャラクターは皆はっきり言って「カタワ」だというのだ。
絵の中の魚に二本の足が生えていたり、カエルのしっぽが異常に長くて気持ちが悪いとも言える。

それに障害のある自分の息子を重ね合わせ、この世界でそんな仲間たちが手を取り合って生きていくというテーマだそうで。
嫁と息子と自分の生き写しの似顔絵まで出てくる。
個展を開くたびに障害を持つ会の方も来ていて尋ねられると説明するそうだが、そういった方々の同調を得られて満足しているようだった。

でも、弟の描く絵は私ははっきり言って好きではない。
弟の話を聞いて余計そう思った。
暗い・・・きつい・・・悲しい・・・
人にそういう形で自分の子供をさらすことに抵抗がないのか・・・
私には理解できない。
そして、一生こういった弟家族に気を使わなければならないことに大変な気持ちの負担を感じるのが正直な気持ちだ。

以下が弟の昨年の作品の一部だ。
すべてモノクロの鉛筆画で大変に緻密な作品だ。
こんな細かい絵を飽きもせずに描き上げるエネルギーは尋常ではないと思う。
私のような飽きっぽく興味が変わりやすくマイペースな人間には頭がおかしくなりそうだ。
息が詰まって苦しくなる絵だ。

こういった弟を持った姉の私はどうやってこれから生きて行けばいいのだと悩むことさえある。
描ける弟への嫉妬なのか、こうした絵しか現在描くことができない弟への哀れさなのか・・・


















結局父が生きてる限り我が家は何も変わらない・・・

弟は私を妻を呼ぶのと同じように「○子さん」と呼んでいる。
先生や親が呼ぶような呼び方で私を呼ぶ、そんな弟をいさめようともしない両親。
弟は子供の頃は私を「ねえちゃん」と呼んでいたのに。
弟は父を「とうさん」母を「かあさん」姉の私を「○子さん」と呼ぶ。
なぜ私を「ねえさん」と呼ばないのか・・・

私の実家は家族というより、職場のような雰囲気なのだ。
弟と父が知的な話をして、先日までは私もそれに入っていた。
母だけは耳の遠いぼんやりした俳句好きなばあさんだ。

ずっと若い頃私の実家と私の家族が一緒に入るつもりで父が建てた墓があるけど、私は恐ろしい。
あの小さな墓の中に弟の家族と骨壺を並べるのかと考えると・・・

自然と「海洋散骨」を検索していた。
本当に自然に帰るには骨壺に入ったままではおかしいのではないか・・・








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Last updated  2018.12.12 22:20:13
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