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カテゴリ:大阪高齢者大学校 で学んで
伊丹空港(8:05)→仙台空港(9:20) →武田の笹かまぼこ(昼食・専務武田武士さん当時の様子と復興のお話)→唐桑半島ビジター センター(津波体験(震災のお話)→気仙沼港→気仙沼大島 民宿・海鳳(震災のお話)泊 1日目の行程です。 3人の方からお話をお聞きしたのですが、忘れられない方のお一人は・・・ バスガイドさんです。 1日目にお世話になったバスガイドさん(サイトウさん)は、この震災津波で身内の6人を 亡くされました。 今再び、ガイドを通して被災地の思いを多くの人に伝えて行こうと再びマイクを握られたそ うです。 大ベテラン・・・東北については、知らないことは無い程熟知し、東北にかける深い郷土愛 をひしと感じました。歴史・歌と何でも来いのサイトウさんスペシャリストここにありです (福祉にも関わって被災された高齢者の傾聴もされているという〉サイトウさん ガンバレ東北 の言葉にたいして一言・・・被災した私たちは、一杯頑張ってきた。 悲しみ 苦しみ 絶望 怒り・・・沢山の事を乗り越えて頑張ってきた。これ以上ガンバレ は、きつい、何をこれ以上ガンバレと言うの? そんな声を聞くけれど、確かにその思いは 分かるのだけれど・・・と。真摯に受け止める態度が大事では無いでしょうか と。 200枚の写真から選ぶのは、至難の業でした。 仙台空港からバス―遠く松の木が 稲田が広がります。(道路を挟んで片方) 塩害の田んぼ 畑のようです。 鹽竈(しおかま)の武田の笹かまぼこ 表面の土を取り除いています。 武田武士さんの再建のお話をお聞きしました。ここ鹽竈には震災前には、20数軒のかまぼ こメーカーがあったということです。震災の時この工場の2階部分が残り、地域の方々の避 難場所に。ヘドロを掻きだし、洗浄を繰り返し・・・お父様の遺志に報い再建を兄弟でされ たということです。地域と共に発展する企業・・・このお父様の信条を若い専務さんが、し っかり引き継いで行かれることでしょう。ここでも、元気を戴きました。 店内の様子です。 力を頂いたバスガイドさん 鹽竈の武田笹かまぼこ店を後に、2時間半バスで向かうは唐桑半島ビジターセンター 周りの震災の跡を見ながら、説明を聞きながらあっという間に到着です。 津波体験。日本で始めての津波擬似体験館 陸中海岸国立公園・・・穏やかに波静かな、豊かな恵みの海が広がります。 気仙沼港へ、バスはゆく ガイドさんともお別れです。一期一会、感無量です。 気仙沼港を連絡船から見ると・・・そして、気仙沼大島へ。 大島のがれき 海鳳館の女将さん スーパーウーマン 気仙沼大島のその当時の様子は・・・ 津波と山火事でした。タンカーの火、燃えた物が波に打ち寄せられて山火事に4日間 燃え続け恐怖の日々。色々手を尽くし、最終的には運よく降った雨にによって消えた と言う事です。 情報が入らず、忘れられたのでは・・・見捨てられたのでは、の心細い思いになったと。 避難場所が徹底的に島民に浸透・・・津波が来たらここへ行く 救援物資がきても、爺ちゃんばあちゃん、子どもが優先、助けあっていきました。 電気のない生活、夜の余震の怖さをお話されました。その間沢山の方のボランティア 活動に助けられて、ようやくここまで来ました。憎い海だけれど、海で生活の糧を得た 者は海と共に生きるしかないと。生き残った命を生きる・・・頑張っていますと語って 下さいました。 牡蠣の養殖を頑張っておられますヤマヨ水産 待ちに待った夕食です。海の幸が一杯 しっかり戴きました。料理の美味しさは、格別でした。 そして、早々に就寝 では、又明日・・・お付き合いありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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