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カテゴリ:本の話
『不幸の心理 幸福の哲学 ~人はなぜ苦悩するのか~』 (岸見一郎著)
幸せへのヒントが見つかる一冊です。 前にも書いたけれど、私が初詣などでお願いする事はいつもいつも同じだったんです。 “がんばれますように。” …たぶん私は、幸せになりたかったのです。 頑張っていれば、きっと幸せな人になれる。努力しないと幸せになれない。きっと、そう思っていたんだと思います。 「神経症的な意味づけををやめれば『世界は信じがたいほどシンプル』になる。 人生が複雑なのではなく、私が人生を複雑にしているのである」 これは本当です…! 私も、以前よりはずっとシンプルに考えられるようになってきましたよ。(^^) (今まで何でも複雑に考え過ぎてしまっていたので;;) そして、ずっと考えていた、子どもを尊敬する。という事についての、答えも見つかりました。 今まで、子どもを認める。とか、尊敬する、とか、信頼する。とか…それはどういう事なのか…と、考えていて(ココとかココに少し書きました)、自分では理解しているつもりだったのですが、今回、本当に深く理解できたと思ったんです。 以下引用です。 *--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--* 「尊敬」という言葉は、英語では“respect”というが、それの語源は、ラテン語の“respicio”(ふりかえる)である。何をふりかえるかというと日頃つい忘れがちになっているさまざまなこと、例えば「この人は私にとってかけがえのない人だ」「私とあなたは、今こうして一緒に生きているけれども、やがていつか別れなければならない日がくるだろう」「だから、それまでは毎日毎日を大して、仲良く生きていこう」というようなことをふりかえるということである。 このようなことを「ふりかえる」ことから「尊敬」が生まれる。問題があろうが、病気であろうが、私の理想と違おうが、私の大事なこの人と思ってつきあう。理想の人を頭の中から消し去り、「ほかならぬこの人と一緒に生きていくのだ、この人と仲良くして、心から尊敬して生きていくのだ」と日々決意を新たにするのである。 私の母はある日身体の不調を訴えた。その前からもひどい頭痛で苦しんでいたが、病院に行こうとはしなかった。その日、半身が麻痺していて舌がもつれるというので診察を受けたところ、本人も家族も驚いたことにただちに入院することになった。脳梗塞だった。入院してからの予後はよくすぐにリハビリも始めたが、一月後再び発作が起き、これをきっかけに母の症状は急激に悪化していった。 やがて意識を失った母の病床で奇跡を望んだが、三ヶ月の闘病の後、亡くなった。四九歳という年齢は死ぬには早すぎる、と思った。意識があった最初の一ヶ月間は感情的なやりとりもあった。なんてわがままなことをいうのかと憤慨したこともあった。それでも後に意識を失ってそんなやりとりもできなくなった時、喧嘩していた日々も貫く思えた。意識があった頃になぜもっと母と話をしなかったのか、喧嘩なんてしていないで一緒に過ごす時間を大切にすべきだった、そもそも病気で倒れる前には、こんな日がくるなどとは思っていなかったから、大切な時間を無駄にしてきたのではなかったか。そんなことを母の病床で何度も何度も考えた。 死別ではなくても愛し合った人と別れなければならないことはあるだろう。そんな日がくるとは思いもしなかった幸せな日々に、なんと時間を無駄に使ってしまったことか。そんなふうに悔いても遅すぎる。 こんなふうに後悔しなくてもすむように、日々、この人と共に生き、仲良く暮らしていこうと不断に想起していくことを「尊敬」という。 *--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--* ああ、そうだったんだ…!!(感涙) これはずっとずっと、私が子ども達に伝えたかった事だったんです。 でも、上手く伝えられなかった。 子どもを尊敬するって、難しく考えてしまっていたのですが…そうじゃなかったんですね。 パパの事も…パチンコの件もあって、尊敬なんて無理…! と思ったりもしたんです。 でも、こんな風に考えたら…、何だかとても切なくなって。 もしかしたら、この人とは別れることになるかもしれない(深刻ですよ~。(;;))けれど…、今の時間を大切にしよう! って思えたんです。 家族4人そろって笑っていられる、幸せな時間を、無駄にしないように…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年03月28日 16時12分36秒
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