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カテゴリ:映画+亜細亜電影倶楽部
東京に戻って、仕事始めの一日は、あっという間に夜になった。
やることは一杯あるけど、とにかく休もう。くたくた~。 不思議だけれど、 北海道の一日は長く、東京での一日は短く感じられる。 今日もあっというまに日が暮れた。 やりたいことはたくさんあるのに、身体がまだ元の生活のリズムに なじんでない。 今日はビデオで「ロスト・イン・トランスレーション」と「誰も知らない」 を見た。 「ロスト・イン・トランスレーション」はなにか感慨があって 選んだわけではなく、なんとなく眺めていた。 「誰も知らない」を観てからというもの、羽田空港への行き・帰りに、 この映画、物語を思い出さないことがない。 それで、観た。 羽田空港を行き来しながら、この映画について思っていたことは こんなことだ。 「羽田空港」は明(「誰も知らない」で俳優・柳楽くんが演じた役柄) にとって、「唯一父を感じる場所だった」。 ・お父さんは羽田で働いていた(と母親)。一度ふたりで父親に 会いに羽田に行ったらしい(明は覚えていないと否定) ・いつかモノレールに乗って羽田に行こう(明が母親を待ち続ける 妹に語りかける) ・そしてふたたび羽田へ 羽田は東京の「異界」への入り口であり、 国際空港なので、国境でもある。 明がその場所に父の姿をもとめ、心のどこかに「羽田空港」を置いていた のだろう、と思うと切ない。 ほとんどの人にとって、羽田空港は通過地点にすぎない。 そこに止まるなんてまず考えない。しかし、明にとって、そこは 特別な港だったのだ。 どこにも行くことのできない明は、 父親と、小さなアパートや街からの旅立ちを夢見て、 「羽田へ行こう」をよりどころにしていたような気がする。 映画のラストで。 聞こえるはずがない飛行機の飛び立つ音に、明は立ちつくす。 妹・ゆきちゃんの事件とともに終わったのは、 「家族」のあこがれや将来への淡い希望。 見上げた弟のまなざしは、 今目の前にある「水をくみにいかなければいけない現実」。 明のような悲劇を、二度と生んではいけない、と思う。 どんな子供で、どんな境遇であっても、 生きようとする姿を、制止し、さまたげ阻害することは基本的に悪。 彼らの不幸は、両親のせいだけではない。 狭くて、優柔不断で、優しいから冷たい、 私たちが生きるこの場所が生んだのだ・・・胸が痛かった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.01.19 22:36:11
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