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カテゴリ:最近思うこと
久しぶりに見た風景 ネット通販や宅配便の普及によって、今や物流の中心は車が中心になり、地方のバス路線やJR線は本数も少なくなったし利用者も激減している。 先日、久しぶりにJRを利用した。会議のあとアルコールの出る懇親会があるため、普段ならば車で行くところを、1時間に一本程度しかないJR唐津線で佐賀市に向かったのだ。 「昼の時間帯の車内」 厳木(きゅうらぎ)駅には古ぼけた赤レンガつくりの塔が建っている。これは蒸気機関車用の給水塔である。この給水塔が実際に稼働しているのをしかと見たわけではないが、自分の学生時代には、まだ国鉄だった唐津線に一日1往復だけ蒸気機関車が引く列車が走っていた。 「レンガつくりの給水塔」 この給水塔ある風景は映画のロケ地として使われたことがある。1997年公開の「東京日和」で、写真家の荒木経惟とその妻陽子の写真エッセイ集をもとに、竹中直人が監督・主演をつとめた。残念ながら、自分はこの映画を見たことがない。 それから笹原峠を越えて旧佐賀藩領に入ると多久駅に着く。多久市もかつては炭鉱で栄えた町だった。車窓からちらっと見えたのは、石炭を貨車に積み込むホッパーだろう。壊されないでまだ残っていたとは知らなかった。 「ツタに覆われた近代化遺産」 壊されず残っているということは、産業構造の変化に対応できなかったということでもある。現に多久市は県の中央に位置していて、高速道(長崎自動車道)のインターチェンジもあるのに、市町村合併でもどこからも相手にされなかった。 多久駅から中多久駅を経て東多久駅に向かう途中で高い櫓(やぐら)が見えたようだがはっきりとは確認できず写真も撮れなかった。炭鉱の縦坑の入り口ではないかと思う。 「旧炭鉱住宅跡」 旧東松浦郡(現唐津市)の、北波多村、相知町、厳木町と多久市一帯は「唐津炭田」と呼ばれる産炭地だった。その歴史は江戸時代の享保年間までさかのぼる。明治時代に入ってからは三菱、住友など旧財閥によって開発が進められた。 「東多久駅」 東多久駅は駅前の商店が切符を販売する簡易委託駅である。東多久駅の2011年度の日間利用者数は180人と限りなく少ない。切符の回収箱も淋しげである。多久市には唐津線の駅が3駅あるが、多久駅が317人、県立高校がある中多久駅が493人(いずれも2011年度)だから、産炭地の凋落振りは目を覆うばかりである。 1972年に最後の炭鉱が閉山してから多久市の人口は3万人を切った。2016年2月の速報値では1万9,640人と2万人を切っている。高速道沿線の利便性を生かした企業誘致も進んでいない。ただ、多久市にはエアバッグ問題で揺れているタカタの「タカタ九州」の本社がある。 久しぶりに唐津線に乗って、車からは見えない風景を見ることができた。車から見える景色は全国どこでも同じような景色になったが、ローカル線の鉄道の車窓から見る景色はローカルな雰囲気を味わうことが出来て味わい深いものだと再認識した。 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016/06/13 11:17:30 PM
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