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テーマ:今日の出来事(292625)
カテゴリ:武寧王をめぐる日韓交流
今年も大勢の参加者で開催されました 例年6月初旬の週末に開催される武寧王生誕祭。古代百済の第25代王嶋麻(しま)王、死後の諱名が武寧王(ぶねいおう=ムリョンワン)は、肥前の各羅島で誕生した。日本書記に書かれたことが、1971年の韓国の宋山古墳群から武寧王の陵墓が発掘されて証明された。 生誕の地と言われる場所は「オビヤ浦」という海侵洞である。西暦461年に元気な産声が響いたであろう小さな浜辺には、1460年前と変わらぬ玄海の波が押し寄せている。 「生誕祭式典を終えて」 加唐島は佐賀県最北端の島であう。古代の海の交通路では、現在の唐津市周辺にあったとされる末蘆国の玄関口にあたる。生誕記念碑は2006年に完成し、その形は武寧王陵の石室を模している。 「交流会」 数年前までは漁港の広場にテントを張り、バーベキューなどもしていたが、島の過疎化・高齢化もあって体育館での開催となった。加唐小中学校の児童生徒は「加唐ソーラン」を元気よく踊って参加者から盛大な拍手を受けた。 「加唐ソーラン」 島の人口は、平成27(2015)年の国勢調査で131人と急速な過疎化が進んでいる。イカ漁と自給的な畑作が中心だがmここ数年はイカの不漁が続いているという。合わせてイノシシが急増して農業被害が拡大している。 佐賀県内の他の離島と同じく、由緒ある歴史を秘める加唐島にも、厳しい生活の現実がある。
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Last updated
2019/06/28 04:44:49 PM
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