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テーマ:教育問題(329)
カテゴリ:学校教育、教育問題
洗脳を解き放て 「すべての教育は洗脳である」21世紀の脱学校論~堀江貴文。このタイトルを見たとき、自分の中に少し共感する部分があったことも間違いない。だいたい「教育」という言葉そのものが「洗脳」ではないのか「教育」、「教科書」、「教室」、「教師」そこには学ぶ主体の子どもたちの姿がない。子どもを主人公にすれば「教室」でなくて「学習室」、「教科書」でなくて「学習書」ではないか。 最近やっと、「アクティブ・ラーニング」の手法が現場段階で意識されるようになってきた。「ティーチング」ではなくて「ラーニング」である。これを文科省では、「主体的・対話的で深いまなび」と呼び、新学習指導要領に位置づけている。このことは、長くなるので別の機会に触れたい。 「新書はタイトルで勝負」 この本は1年前ごろ買って、さわりだけ読んで放り出していた。折角だから読んでしまって最初から読み返してきた。果たして自分もずーっと学校教育に「洗脳」されていたのか。いやそんなことより、教育を生業としていた自分は、40年間近く子どもたちを本当に「洗脳」してきたのか。 「第1章 学校は国策洗脳機関である。」この章は共感できる部分も多い。明治5年の学制で始まった義務教育の目的のひとつは国民皆兵の土台をつくることだった。また義務教育の目的は多くの労働者をつくることでもあった。 近代国家への脱皮は、どの国も国民教育の普及は不可欠であった。その中でも日本は随一の成功例であった。しかし、教育の普及は、国民文化の発展による国民の欲求でもあった。押し付けの側面もあったろうが、大正デモクラシーの時代には自由主義教育の花も開いた。歴史的背景や歴史的発展の限界を度外視して、一方的に「国策洗脳」と呼ぶのはやや一方的な言い方であろう。 ただ問題は、第二次世界大戦後の日本において、様々な民主的な教育実践が試みたにもかかわらず、政府は旧来の「教える教育」を推進していったことである。ベビーブーム世代の受験地獄がそれに輪をかけた。出来るだけ多くの記憶を詰め込むことが教育の第一の目標とされた。 ところで著者は、学校が教えることの9割は「知識」ではないと言う。学校はただゆがみきった「常識」を植え付けている。知識とは原則として「ファクト」を取り扱うもので、主観の一切入り込まない事実(ファクト)にもとづく知。それに対して、常識とは「解釈」であるという。主観の入りまくったその時代、その国、その組織の中でしか通用しない決まりごと。それが常識であると言う。 確かにIT革命が急速に進んだ現在では、「知識」という概念は、「事実」という概念に置き換えられて、そして常に更新されていくものだろう。その点では自分も著者に賛同する。しがたって、ファクトを求めるためのアクティブな学び(=アクティブ・ラーニング)が必要となるのだ。 第1章の終末付近の「戦時中をひきずる学校、会社、日本人」という章では、敗戦によって、戦前の国民教育は民主的になったかと思われるが、実は戦前からの「常識」を引きずっているという。某回転ずしチェーンは新入社員に社訓を暗唱させ、できなかった社員に辞退を求めていたという。 その他に、検定教科書の使用や、道徳などにも著者は疑問を投げかける。自分も全く同感である。多分30年も経たないうちに、様々な価値観が国という概念を越えて飛び交う時代になる。いくら道徳を「教えて」も、子どもたちはそれを乗り越えネットの情報で判断をしていく。 もともと検定教科書や国定教科書を使っている先進国は、日本とドイツぐらいのものだ。その他の、イギリス、アメリカ、フランス、スゥエーデンなどは、何を使おうと自由である。「道徳」なんて教えるものでも説明するものでもない。子どもたちが互いに遊んだり学び合う中で身につけていくものだ。 第1章の最終章は、「国などなくても生きられる」である。国家という枠組みは必要なくなり、日本人で日本に住んでいることより、スマホがつながりアマゾンの荷物が届くことが重要なことになると著者はいう。これは、選挙がどうだ、財政がどうだ、福祉がどうだ、貿易摩擦がどうだ、ということが新聞紙面をにぎわしている現在では、異様なことと思われるかもしれない。しかし、30年後の世間の話題は全く様変わりしているだろう。そこに国という概念が残っているのかも疑問だ。 国家の枠なんか関係なく、ネット社会で活躍して富をつかんでいる人の存在は増えている。小学生が将来の夢は「ユーチューバーになってお金を稼ぎたい」と書く時代である。そのことからもすでに国家の存在など意味がない時代になりつつあることを物語っている。 もう少し時間がかかるとしても、今世紀のなかばには時間のずれはあるにしろ、アメリカ、中国、北朝鮮など話題の国の指導者が叫んでいることなど全く無意味になる時代が来ることは間違いない。まあ、それまでに、対立が暴発して核戦争にでもならないがぎりという条件は付くが。 情報格差は平等化していく、しかし、それがそのまま富の格差の解消にはつながらない。国家の枠が意味をなさなくなった時、無力化した国際連合やEUにかわって、人類が共存共栄をはかっていくための組織を作り出しうるのか、それができないままに破滅の道に進んでいくのか。著者は、その答えはこの本の中で示していない。 第2章 G人材とL人材 注) G人材=グローバルを行動範囲とする 第4章 3つの「タグ」で自分の価値をあげよ! 第5章 会社はいますぐ辞められる にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019/07/23 09:35:32 PM
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