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テーマ:草の根国際交流(89)
カテゴリ:武寧王をめぐる日韓交流
最終日(4日目)、ソウルの街を散策 ソウルの歴史は百済の都である漢城が置かれたことから始まる。しかし、西暦475年に高句麗軍によって占領され百済の首都は熊津(公州)に移る。その後7世紀の後半に新羅が朝鮮を統一して、ソウル一帯は漢山州と呼ばれる。 高麗時代にはソウルの北部は揚州、南部は広州と呼ばれた。1393年に李成桂が政権を獲得して以来、漢城は500年にわたって朝鮮王朝の首都として栄えた。1910年から1945年までの日本統治時代には日本の統治機関である朝鮮総督府が置かれた。 第2次世界大戦後の1950年に始まった朝鮮戦争では共産党軍の南下によって、一時的にプサンに首都が置かれたこともある。朝鮮戦争停戦後の1953年8月1日に再び大韓民国の首都となった。 現在ソウル特別市域には韓国の総人口5千100万人の25%にあたる975万人が住んでいる。ソウルの人口密度は1万6千人(1平方キロあたり)を超えている。経済規模は国全体の22%を占め、韓国は極端な都市集中型国家である。 ※東京23区の人口密度は約1万5千人でソウルとほぼ肩を並べているが、人口は965万人で 23区の人口集中率は全国人口(1億2千600万人)の約8%である。 つあの定番は免税店である。しかし、ツアーの皆さんの財布のひもは固いようだ。昔は革製品などに定評があったが、今は国際化の進展で特別に韓国で買いたいと思うものがなくなっているようだ。 「古い民家を改造したカフェ」 (韓国ドラマで中庭のある家がよく出てくるが、その中庭の部分をうまく生かしている) ツアー一行で一人だけ迷子になった人もいたが、一つ一つの見どころはそれほど広くはない。適度にこじんまりとまとまっていて、教会があれば寺院もあったりして変化に富んでいる。 ソウルは何度も戦火に見舞われているが、思ったよりも古い住宅が並ぶ地域や、歴史ある市場などが残っている。古い民家を改造してカフェなどにして若者たちに人気のある地区もある。自分としてはそんな人々の生活感のある場所が好みである。 今回の旅でも3台のカメラで写真はたくさん撮った。しかし現時点ではスマートフォンの写真しか読み込めない状態で、最終日の写真はカフェでの写真1枚である。 ↓ランキングに参加しています。よかったら下のアイコンをクリックしてください。 にほんブログ村
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Last updated
2019/12/02 06:45:01 PM
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