|
テーマ:古代史(2)
カテゴリ:武寧王をめぐる日韓交流
大盛況のうちに終わる
このコロナ禍のなかで、どれだけの人が集まってくれるか不安が大きかった。幸いにも月末になるにかけて感染者は県内では数名ないしはゼロという状態にまで落ち着いた。コロナ感染に関しては一番良い時期の開催となった。 「自作チラシの一部」 (自宅のプリンターで300枚くらい印刷し、インク代がかさんだ) 1971年、韓国忠清南道公州市で未盗掘の古墳が発見された。これがきっかけとなって、古代百済の嶋王(斯麻王)が、玄界灘の離島加唐島で生まれたという、「日本書紀」の記述が証明された。その決め手は墓誌石であった。 このことを、2000年5月に韓国の慶北大学の文(ムン)名誉教授が論文として発表した。韓国では自国の王が日本(当時は倭国)で生まれたという説に抵抗を感じる者もいた。しかし、王の木棺の材料が日本にしかない高野槇だったことなど考古学的物証もあり、次第に日韓両国の古代史学者の共通理解となっていった。 「基調講演:東アジアから見た武寧王と古代日本」 (講師からは、武寧王時代の東アジアについて話してもらった) 論文発表の前年の1999年には、文教授が加唐島を訪問している。加唐島からも島民や関心ある人々が数名武寧王陵を訪問した。これがきっかけとなって、両国に市民団体が作られて民間交流が始まった。 もう20数年にわたって相互訪問を繰り返しているが、この2年はコロナ禍で中断している、今回の講演会とシンポジウムも日本側だけでの開催だったが、この交流を熱心に支えてくれる、在福岡韓国総領事館から共催名義をもらった。 「シンポジウム」 (両国の交流の経過とこれからの課題について意見交換をした) シンポジウムには、自分も日本側の交流団体「まつろ・百済武寧王国際ネットワーク」を代表して登壇した。この数日間はかなり時間をかけて資料を準備してきたが、時間不足で十分に話せなかった。しかし、このシンポジウムで、今後の交流のあり方についてのヒントは見いだせたかと思う。 実行委員会の掲げた参加者数の目標は130名だったが、最終的には194名の参加があった。事務局をはじめスタッフの皆さんの努力が実った。会員数も現在約40名であるが、今後もっと増えてくることが予想される。 ※関心ある人は下の動画をご覧ください。 URL https://www.youtube.com/watch?v=urPZTArccQI&t=789s ↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[武寧王をめぐる日韓交流] カテゴリの最新記事
|