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テーマ:アフリカあれこれ(62)
カテゴリ:日本地理・世界地理
問題は、情報不足と固定観念
前回、マダガスカルの見聞について書いたが、政治・経済面は短時間の旅の見聞では分からない。そこで、船旅の前に買っていた書籍数冊を読み返した。そのなかで、まず一番基本の部分を分かりやすく例を挙げて書いている下記の書籍を紹介しよう。 「日本人のためのアフリカ入門」(ちくま新書、2011年4月) (著者:白戸圭一、2004~08年毎日新聞ヨハネスブルグ特派員) 2004年4月、白戸は毎日新聞ヨハネスブルグ第7代目の支局長として赴任した。支局長といっても記者は自分一人で、しかもサハラ砂漠以南48か国を担当していた。彼は本書に執筆の動機として次のようなことを前文で書いている。 「政治的混乱や貧困により多くの人が域外に流出しているが、圧倒的多数が生を受けた土地での暮らしを主体的に肯定し、祖国で生涯を終える。~中略~私たちは、アフリカの人々が少なくとも我々と同じ程度に祖国に誇りを持ち、我々と同じ程度に優秀で、我々と同じ程度に幸せな暮らしを営んでいることを知っているだろうか。日本とアフリカの経済規模や科学水準の差に眼を奪われ、国力の差を個々人の幸福度の違いと錯覚し「進んだ日本、遅れたアフリカの暮らし」と思いこんでいないか。 白戸は2004年から2008年までヨハネスブルグ支局長を務めるが、2010年1月の時点で毎日新聞はアメリカ合衆国に7人、ヨーロッパには6人の記者を配置していた。サハラ砂漠以南のアフリカに駐在している日本人記者は他社も含めて計4人、ケニアのナイロビに2人、ヨハネスブルグに2人だった。日本人のアフリカへの関心が薄いのは、メディアからの発信が西欧中心であることに原因があると白戸は言う。 「ケープタウンの少年」 (富裕層の子どもであろう、清潔なショピングモールでのスナップ) 次に日本人のアフリカ観として、白戸記者はあるテレビ番組を取り上げた。それは若い男女が登場するバラエティだった。番組の中で、ゲリラに両親を殺され孤児院にいた10歳の少年が、別れたままの姉と会いたいと言う。そこで出演者たちは少年の姉を探す旅に出る。そしてめでたく実姉と再会するという「感動話」だった。 ところが、後日当時の「10歳の少年」にこの番組を見せたら、この話はテレビ局側の完全な「やらせ」だったという。両親はゲリラに殺されたのではない。しかもテレビ局は少年に日本留学や金銭支援を約束をしたが約束は守られていないという。(これらの「約束」については、白戸記者の質問状に対してテレビ局側は否定した) 白戸記者は、この問題について記事にすることを考えた。しかし、次の2点から記事化を断念した。一つは番組放送から2年弱経っていたこと、「支援」の約束について双方の言い分について、どちらも立証できなかったことだった。 白戸記者は、この番組の問題点をいろいろな面から分析することで、日本人のアフリカ観を考察しているが、紙面の都合でこの章の最後の文を要約して紹介したい。 京都大学の松田素二教授は、私たちがアフリカに関する情報を解釈・理解するための知識の枠組みを「アフリカ・スキーマ」と名付け、日本人のアフリカ・スキーマを次の様に分析している。 「現在のアフリカスキーマは、19~20世紀の植民地支配の時代から継続しているといってよい。今日の日本社会に定着しているアフリカ理解は、この強力なアフリカ人資金のための枠組みによって作られている。~中略~たとえば、アフリカで生起するあらゆる種類の政治的対立、軍事的衝突、社会的憎悪をすべて部族間の伝統的関係性で説明する万能の解釈枠組み(部族対立スキーマ)や、そのバリエーションとして、アフリカでの社会・文化現象を、上から目線で(常にアフリカを援助し、啓蒙する対象とする目線で)、一元的に解釈する認識(未開・野蛮スキーマ)は、代表的なアフリカ・スキーマの一つであろう」 この章の最後で白戸記者はこう書いている。 「このバラエティ番組が浮き彫りにしたのは松田氏の言葉を借りれば、無意識のうちにアフリカを「常に援助し、啓蒙する対象として捉えている日本人のアフリカスキーマではなかったか」 ここでは4つの章のうち第1章だけしか紹介できなかった。彼にはアフリカに関する別の好著もあるので、機会を見つけて紹介したい。 白戸は立命館大学修士課程でアフリカ政治史を専攻し、毎日新聞社ヨハネスブルグ特派員、ワシントン特派員を歴任した。現在は立命館大学国際関係学部教授。 ↓ランキングに参加しています。応援のクリックをお願いします。 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023/01/25 06:34:41 PM
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