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テーマ:今日の出来事(292615)
カテゴリ:武寧王をめぐる日韓交流
4年ぶりの再会
今から52年前の1971年、韓国忠清南道の宋山里古墳群から未盗掘の古墳が発見された。この出来事がきっかけとなって、日本書紀の雄略天皇の条にある「百済25代王が倭国の各羅島(加唐島)で生誕した」という記述が証明された。 韓国史学会では、武寧王陵出土の墓誌石(買地券)の検討が行われた。その結果西暦2000年に、慶北大学の文暻鉉教授が「百済武寧王の出自に関して」という論文を発表した。文教授は、買地券に刻まれた斯麻王(武寧王)の没年と享年が、日本書紀の記述と一致するので、武寧王は倭国の加唐島で生まれたと考えるのが妥当とした。 「武寧王陵出土の墓誌石(買地券)」 (日本書紀の記述を証明する事になった世紀の発見) 武寧王陵の発掘は東アジア史考古学上の世紀の発見と言われ、武寧王をめぐる日韓両国市民の交流はこの発見に起源をもつ。文教授の論が日韓両国の広く知られるようになり、韓国公州市の市民団体と日本の市民団体の交流が始まった。 6月2日、韓国からの約30名と、日本側の市民団体の会員や一般参加者を交えた総勢80名が参加して韓国からの訪問団を歓迎する会が、唐津市内のホテルで開催された。コロナ禍で3年間の中断をはさみ、4年ぶりの再会とあって会は盛り上がった。 「歓迎会、両国代表のあいさつ」 (9月には韓国公州市での百済祭に日本側から訪問する) 今年はコロナ禍も下火となり、対面しての交流を再開出来るようになった。特に2023年の今年は武寧王崩御殻1500年の年になる。我々は3年がかりで記念行事を行ってきたし、公州市では武寧王陵入り口に大きな武寧王像が建立された。 「韓国側からの歌と踊り」 (言葉は十分に通じなくても、心は通い合える) 韓国の新しい大統領が日本を訪問し、厳しかった日韓関係にも雪解けの気配が感じされる。政府間の対立はあっても民間交流の熱は冷めない。これからの交流への期待を込めて、歓迎会は盛会のうちに閉会した。 ↓ランキングに参加しています。クリックをお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023/06/21 03:27:49 PM
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