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テーマ:地域の歴史について(5)
カテゴリ:山歩きと山登り
天気の回復具合を見て再挑戦 最近は低山登りがブームで、NHK BSプレミアムで2020年11月から2022年3月まで「吉田類のにっぽん百低山」が放送されたことがそのきっかけのようだ。佐賀県では天山(1046m)、黒髪山(516m)が紹介されたが、「百低山」にどんな山が含まれるかはははっきりしていない。 文芸春秋が2009年に選定したという「日本百低山」の一覧表には、天山も黒髪山も入っていない。しかも、100座のうち42座が関東地方の山である。ということは、都会人の目線で選定されているようだ。 自分は10年ほど前に県内の低山登りに結構集中したが、県内の低山と言えば標高500m程度が多い。今回大晦日に続いて再び登る岸岳山も標高は320mだ。車の駐車場が170mほどのところにあり、自力で登るのは150mほどだ。 「駐車場」 (5,6台停められる駐車場が二カ所ある) 岸岳山は南北の両面が急峻な傾斜をなしていて、山頂の鞍部は狭くて高低差が大きく変化に富んでいる。ここに山城を築こうと思った中世の松浦党の武将たちの気持ちが分かる。今日こそは朝陽を見ようと思って、前回よりも早い午前6時過ぎには家を出て、眺望の良い姫落とし岩まで急いだ。 「狭い鞍部」 (本丸に通じる鞍部は、人がやっとすれ違う事ができるほどの狭さだ) 途中の二の丸の入り口には、「伝埋め門」と表示のある遺構が残っている。火急の場合にはにこの門を塞ぐことによって敵の侵入を防ぐようになっていたのだろう。現在はもう門の体裁はしていないが、埋土などによって埋もれたのだろう。 「埋め門の遺構」 (かなり立派な門だったようだ。近世に入っての増築部分だろう) 岸岳山は広葉樹が茂っいて眺望は全くきかない。本丸には平地が一定の広さであるが、周囲は木々に覆われて展望はきかない。展望できるのは城の西端の「旗竿石」と言われる岩の上と、東端にある姫落とし岩の二カ所に限られる。 姫落とし岩に行く途中、三左衛門様丸という立派な石垣で囲まれた場所がある。この山城に残った石垣の多くは近世になって築かれたと言われる。この地を秀吉から安堵された寺沢氏が、居城唐津城の出城として修復した可能性がある。 「三左衛門様丸の石垣」 (三左衛門という武将が、この地に櫓を建てていたのだろう) 下側から見上げると、とても立派な造りになっていることが分かる。この場所を抜けると、展望の開ける姫落とし岩に着く。残念ながら陽は登ってはいるが厚い雲にさえぎられていて、眼下の集落はかすかに見えるばかりだ。 「姫落とし岩」 (岩の下は100mほどの絶壁、この岩自体が落ちないか心配になる) 今日も残念ながら雲海は出ていなかったし、眼下の眺望もはっきりとしない。厳木川と松浦川、唐津街道と武雄街道が合流する「逢う地」が相知(おうち)の語源だともいう。 「姫落とし岩からの眺め」 (陽射しが当たっている一帯が「相知宿(宿)」があったところ) なかなか、天気に恵まれない。再々チャレンジも考えている。 ↓ランキングに参加しています。良かったら下をクリックして下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/05/27 12:56:46 PM
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