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NO1の続きです。↓(この文章はNO2です。)
私の自宅からK子の自宅の最寄り駅まで2時間半、そこでK子と私は9時頃に待ち合わせ、T子さんの自宅のある最寄り駅に向かった。9時半頃駅に到着、T子さんが相変わらず、お洒落な黒いコートで待っていてくれた。又少し痩せたようだった。 駅から自宅まで5~10分歩いたと思う。途中、商店街などに良くある感じの果物屋さんにT子さんは立ち寄って「どれでも1つ好きな果物を買ってあげる。みんなでチョットづつ味見しよう」と言いました。 T子さんとK子が何を買ったか・・・確かイチゴをK子は手にしていたと思う。私は洋ナシが好きなので、緑のスタンダードな洋ナシを手に持っていた。すると横に黄色い、変わった洋ナシ。お店の人に聞くと、この季節だけ限定のまだ発売されて日の浅い、大変美味しい新種の洋ナシだというではないかいな(^-^) 緑の洋ナシは150円ほどだが、黄色は500円を少し切るぐらいの値段だった。T子さんに買ってもらうし、少し迷っていたら「それにしちゃえ!」とT子もK子も言ってくれた。へへへそれでT子さんに買ってもらったのが黄色い洋ナシ「ゼネラル レクラーク」だった。 T子さんは嘔吐がきつかったので、この時自宅で夕方までお邪魔していたけれど、何度と無くトイレで嘔吐していた。K子はこの時まだまだ元気であり、余命宣告されてるなどと、誰もわからなかったと思います。 T子さんの自宅では、唯一余命宣告されていたい人間として、楽しく用事をこなすよう命令され(笑)物を取ったり、果物をむいたりは私のお役目♪洋ナシなんて食べた事が無いというK子とT子さんに、洋ナシを勧めた。 黄色い洋ナシは大好評(^-^@)2人はパクパク食べた。そして2人はこの「ゼネラル レクラーク」が大好きになった。けれどもT子さんはもう2度とこの黄色い洋ナシを食べる事が出来なかった。 1月にホスピスに入院し、春先に亡くなるまで、私とK子は何度もホスピスにお見舞いに行ったけれど、冷蔵庫の中には、友人にリクエストした洋ナシのお見舞いが何個も入っていた。いつも入っていた。でも季節がずれているので「ゼネラル レクラール」は売っていなかったのだと思う。 もしかしたら、果物専門店でないと、まだ出回っていない珍しいものだったのかもしれない。私もスーパーなど探したけれど無かった。「シーナちゃんと食べた洋ナシと、この洋ナシは味が違うの~~~あれが欲しいけど、なんでか無いのよね~~」といつも緑の洋ナシを、T子さんの病室で食べながら話していた。 今日、この洋ナシを食べた。T子さんとK子と私が過ごした、あの過酷で純粋で、何もかもありのままを話した、あの一日を思い出します。お昼はホカベンを3人で食べたなぁ~。 ーーーーーーーーーーー T子さんは余命3ヶ月でしたが6ヶ月生きた。K子は余命6ヶ月でしたが1年6ヶ月生きた。 2人とも最後の最後まで自分らしく過ごしていた。T子さんがホスピスからのメールで「シーナちゃん、あのね、ホスピスでは歩き回っている患者は私だけなの(笑)しかもベランダでタバコをプカプカ吸ってる患者なんて一人もいないのよ、可笑しいでしょ、K子ちゃんも来たら、元気すぎる末期患者同士、楽しいだろうな」と書いてありました。 K子はT子さんの末期状態に手を握り、T子さんのお通夜・お葬式に私と参列しました。私がK子を見ていて1番辛かったのは、このT子さんを見送る前後です。K子はこの時期凄く元気でしたが、自分の最後を常に重ねていました。私はK子の傍にいるだけでした。 T子さんが逝ってから1年後、K子が逝った。もうあの「ゼネラル レクラーク」を食べながら過ごした日々を、思い出話として一緒に語る人は、この世にいない。私一人しかいない。 寂しくないといったら嘘だけど、辛くは無いの。皆一生懸命あの時間を生きた。あの時間を燃やした。私も一緒に燃えたから。 K子が余命宣告されてからの、お約束が「シーナが死ぬ時はK子も私の家族と一緒に、シーナを迎えに来ること」です。「幽霊とかは怖いから、会いたいときは夢にして」と言いました。(笑)だからK子は夢に出てきます。全然怖くないです。生きてる時と同じです。2人は今も天国で爆笑して、大声で、末期がん患者とは思えなかった、あのテンションでランチしてる事でしょう。 いつか会いましょうね。(^-^) ーーーーーーーーーーーー 長い文書にお付き合いくださいまして、ありがとうございました お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 1, 2006 10:35:43 PM
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