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カテゴリ:エッセイ
憂きことの猶この上に積もれかし。限りある身の力試さん。
ぼくはこの言葉を知ったとき、幕末の憂国の志士吉田松陰にびっくり仰天してしまった。 幕府の想像を絶した責苦の中で読んだ言である。 若い頃のことであったので、この人はマゾヒストかなと失礼なことも考えたりもした。 「いやなことはもっと来てくれ。自分がこれに如何に耐えうるかやってみよう」 というのである。 そしてぼくは今、嬉きことの猶この上に積もれかし、限りある身の力試さんという言のもとに文を書こうと思っている。 ぼくは吉田松陰のこの言葉が大好きである。 そしてぼくのことパラドキシカルな言の意味はまったく同じであると思っている。 「ぼくは今嬉しさの絶頂にある。これ以上嬉しいことが起きるとは考えにくい。 でも、嬉しいことよ、もっともっと起きてくれ、この嬉しさに耐えることが出来るか」 吉田松陰が悲しいことに耐えぬいたのと同じようにぼくは嬉しいことに耐えぬくことが出来るだろうか。 これはまったく同じ修行といえるのではなかろうか。 いやまったく同じ意味なのかも知れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.10.31 17:25:31
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