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テーマ:大河ドラマ『天地人』(392)
カテゴリ:テレビの話
前回くらいから急にブレだした上杉の義が、何だか
帳尻合わせのような気がして仕方ないです。 まぁ、史実としては上杉は大坂の陣では徳川方に 味方したので、これまで「天地人」で描いてきた 上杉の立場からすると無理があるのも当然なのこも しれませんが、淀には上杉は徳川のやり様を認めた わけではないが今は苦難の時と長い目で世を見ろと 言い、秀忠に上杉が追い討ちしなかったのは背を 向けた敵に斬りかかるのは義に反する行いと言い 張るそのブレまくりな言動。 徳川を認めたから秀忠が将軍職を継いだ祝いにも 訪れたし、上杉の追い討ちに至っては景勝と争い までしてた人間がどの口で言うのか、そもそも 上杉の義は秀吉の軍門に降るまで天下を狙って いたときにこそあったのではないかと思います。 同じ天下を狙っていた伊達のほうが、徳川の懐に 入りながらもいまだ虎視眈々と天下を狙っている姿 が見えるので筋が通っているような気がするのは 僕だけではないはずです。 それよりも、僕的にはちょっと面白かったのが、 京の兼続に会いに来た毛利輝元の一幕。 なぜにこのタイミングで毛利のご隠居が出てくる のか、しかも延々と関ヶ原の恨み言を言いにわざ わざ出てきたのかと思ったりもしたのですが、 これってある意味伏線なのではないかなと。 あと2回で「天地人」は終わりますが、来年からの 大河ドラマである「龍馬伝」で最終的に徳川幕府を 倒す勝者となるのは薩長の二藩であり、このご隠居 の無念となったその契機を伏線として描いたのでは ないかと思います。 ちなみに、長州藩では今でも足を西(江戸)に向けて 寝る風習があるそうですし、何より面白いと思った のが毎年年賀の挨拶で江戸を攻めるかどうかを殿に 聞くというのがあったのだそうですが、それまでは ずっと今年はやらないでおこうと言っていたのが、 唯一今年は攻めるぞと言った年がありその年こそが 徳川幕府が倒された年だったんだそうです。 いやはや大河ドラマはその時代のことを点で描いて いるものなのですが、こうして線で見て歴史を考える となかなか興味深いものがありますね。 豊臣と徳川の間が完全に冷え切っていたにも関わらず、 それから5年も何も起こらなかったというのはある 意味奇跡としか言いようがないと思いますが、とうとう と言うかようやくと言うか、粗探しをさせたら天下 一品な遠山がついに豊臣が建てた方広寺の銘文に難癖 をつける手がかりを見つけます。 そして家康は豊臣が謀反を企んでいるとし、とうとう 大坂攻めをすることになるのですが、淀には徳川の やり様を認めたわけではないと言い放った兼続はどの ようにして徳川方に付くのか、まさか景勝が委細承知 と言ったからそれで終わりというオチはないと思います ので、上杉の言う義に背かないで動けるかどうか楽しみ にしたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.11.15 13:54:00
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