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テーマ:大河ドラマ『龍馬伝』(491)
カテゴリ:テレビの話
よくよく考えてみましたら、今回の大河ドラマである
「龍馬伝」の趣旨は、大嫌いな坂本龍馬について岩崎 弥太郎が語るというものでしたから、どうしても物語 の中心が弥太郎視点からの龍馬と本人の話がメインに なってしまうっていうのは当然のことかなと。 ですので、弥太郎にとって龍馬以外の人物は今のところ 加尾以外に興味はないため、仲間内でも後々に幕末の 京都で名を挙げた武市半平太や岡田以蔵くらいにしか 記憶になく、龍馬にしても晩年のイメージが残ったまま の回想になっているため、自分がずっと鬱々と感じて いた感情そのままに描かれているんだなぁと改めて 思い直してこのドラマを見ると、こういうドラマも ありかなと思えてきました。 やはり仲間内でもその活躍をするのは自分が一番だと 思うものであって、自分より人が先んじるのを手放し で喜べる人間とはなかなかいないもので、そうした 個々の思うところの葛藤が弥太郎以外にも画面の端々 に描かれているのはよく出来ていると思います。 今回の内容は、江戸への剣術修行に龍馬が旅立つのに 弥太郎も便乗するというものでしたが、相変わらずの 弥太郎の空気読めなさぶりには度肝を抜かれそうに なりましたが、それも最後まで見るとその心情がよく わかるとてもいい青春もののドラマだったと思います。 この時代、身分の低い武士がそれなりの立ち位置を 築こうと思えば、剣の腕を磨いて道場の先生になるか、 勉学に励んで塾の先生になるかくらいしか道はなく、 龍馬は剣に弥太郎は学でその才能を開花させることが 出来たのはある意味で運命のイタズラかもって思い ます。 同じ土俵での争いなら勝負はつけることが出来るの でもっとわかりやすい二人だったのと思うのですが、 相手が自分に持ってないもので秀でているというのは 勝負が出来ないために相手を認めようにも認められず、 かといって自分に持ってないものを相手が持っている (金や加尾の好意)となると余計に腹立たしいもの ですから、余計に弥太郎の龍馬に対する当たり方が 激しいものになったのかもしれません。 しかし、今回の話で龍馬にとって弥太郎には龍馬が 持ってないものを持っており、その鬼気迫る凄まじさ というのは龍馬にして弥太郎という人物を認めさせた というのはその覚悟のほどが伺えるものでした。 生きるために何が何でも這い上がってみせると言った 弥太郎は、自分に何が出来るかを江戸に探しに行くと いうどこかしらのん気な龍馬にしてみれば、その覚悟 は自分にはない眩しいくらいのもので、だからこそ 偽手形であろうと見つかったときには同罪になろうと 一緒に旅をすることに決めたように思います。 そんな龍馬の認めたくても認められない龍馬の器の 一端を見た弥太郎だったからこそ、偽手形がばれて しまったときには自分から仲間ではないと言い張り、 ケンカ別れな形になろうとしてまで龍馬たちを守る その姿には、ひねくれた弥太郎の本当の姿の一端が 垣間見えたのかもしれません。 なんじゃかんじゃと言いつつも、最後の最後まで しぶとく生き延びながらも龍馬を見送った弥太郎と 龍馬の別れのシーンが今回の展開で随分印象的な ものだったと思えました。 それにしても…、疑問なのは古今東西のドラマでも 描かれる公文書偽造にはお金がかかるものだと思う のですが、弥太郎がどこで偽手形を手に入れたの でしょうか…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.01.24 14:44:29
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