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テーマ:大河ドラマ『龍馬伝』(491)
カテゴリ:テレビの話
今にして思えば、この幕末という時代は亡霊に取り憑かれた
人間がいかに多かったのかと思い知らされる、その前振りと なる話でした。 武市半平太が語った「攘夷」と言う言葉、これにこの後の 人たちがいかに振り回されることになったのかは歴史が証左 するものですが、この開国か攘夷かを迫られた政治的に緊迫 したときに先見の明を持った人たちが命がけでその代償を 払うことになるとは皮肉としか言いようがないと思います。 開国に踏み切った阿部正弘の英断も不平等条約さえなければ 飛躍的発展の契機となったかもしれませんし、吉田東洋に よる武市半平太の呼び出しももう少し柔軟な思考を武市が 持っていれば再度東洋から確認があったように違った結論に なったかもしれません。 しかし、日本はまだ海外の諸事情を知らなかったので未熟な 国でしかなく、そうした成熟した思想が生まれる土壌には なく、早熟の考えを持つ者たちは他人から理解を得られない ままに命を散らすしかなかったことを思えば、黒船の来航は まだ早すぎたと悔やまれてなりません。 とまぁ、真面目な感想はともかく、今回は佐那のさらに磨き をかけたツンツンっぷりや桂小五郎の憔悴アンド暴走ぶりは ともかくとして、ようやく待望の吉田松陰先生の登場には とてもテンションが上がるものでした。 最初は弟子の金子重輔と何をしているのかと思えば、気合い を入れるためにどつき合いをしているのにも笑わせてもらい ましたが、小五郎や龍馬が止める中何の迷いもなくアメリカ に行くと言い張ったその姿には眩しいものがありました。 そして、松陰先生の言葉に感銘を受けた龍馬が一緒に行き たいと言っても殴って考えを改めさせたその熱い心には、 松陰先生らしい君ならわかるはずだという優しい思いが 込められており、僕の想像通りの松陰先生像が描かれていて それだけでとても満足でした。 ちなみに、松陰先生はこの年まだ24歳の若さでしたが、 どれだけの無茶をしてのけたのかは前回の僕のとりとめの ないUFO談義を思い出していただければ言うに及ばない と思います。 この下田踏海に失敗してのち、松陰先生は幽囚生活に入る こととなり、今後のことは龍馬伝では安政の大獄まで描かれ ないであろうと思われますが、そんなミッシングリング的 な空白の期間を埋めてくれる映画が間もなく公開されよう としています。 松陰先生生誕180年を記念して制作された「獄(ひとや) に咲く花」という映画で、萩に送られた松陰先生が野山獄 に入れられてからのことを描いた作品です。 このわずか一回の、しかも小五郎と龍馬だけの絡みではとても 吉田松陰先生の魅力なんてものは一向に伝わらないと思うの ですが、連動しているわけではないですがこうして劇場でその 後の松陰先生の活躍を見ることが出来ると思うととても楽しみ でなりません。 いやはや、歴史とは登場人物の視点の数だけ物語があると思い ますが、こうしていろいろな人物が語られることによって違った 物語が見えてくるので、龍馬だけでなく幕末の色々な人物たち のことが紹介されるようになればもっとこの龍馬伝も楽しむ ことが出来るようになると思うので、そちらも期待したいと思い ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.02.07 22:32:45
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