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テーマ:大河ドラマ『龍馬伝』(491)
カテゴリ:テレビの話
人はみな、いつかは必ず死ぬ
だからこそ、死に甲斐のある 生き方をせねばならん 今回のメインである山本琢磨の一件は、オープニングにあった 千葉定吉先生のこの言葉にすべてが込められていたと思います。 それにしても武市半平太が江戸に出てきて、位の桃井道場で 塾頭になり土佐の下士をまとめる攘夷派の主流となってから、 歪みというかいびつさが目立ってきたようでなかなか今回は 見所があったように思います。 他藩とは違い、土佐では武士とは名ばかりの虐げられた存在で ある下士であったからこそ、この時流はこれまで泰平の世では ありえなかった身分制度の中で名を挙げるチャンスが攘夷と いう旗頭の下訪れたからこそ上士たちのように生まれた身分に 胡坐をかくことなく武士らしく生きる、その信念こそが命より も生き方を選ぶということに繋がったのではないでしょうか。 これは幕末特有の生き方であり、それまでは武士という特権 階級のみに許されたものだったのですが、当時の国を動かした 原動力となった人たちは武士とはいえない身分の人が多く、 だからこそ武士に憧れ押さえつけられたやり場のない怒りを 晴らすべく武士らしく自分の命を顧みず生きたからこそ時代 を動かせたという意味では、土佐の下士たちだけでなく新選組 の面々や草莽の志士たちが生まれたと思います。 まだこの時は後の京都のような血で血を洗うような命が軽く なった時代ではなかっただけに、これから攘夷という名の下 に迷走する時代を象徴する事件となったという意味では特筆 すべき一幕に感じました。 それよりも僕的には重太郎先生や佐那のコメディちっくな やり取りや、劇中では2年ちょっと流れた間にますます磨き をかけた佐那のツンデレっぷりのほうが興味があったのです が…。 何はともあれ、この一件で出奔した山本琢磨はその後明治 まで生き延び、日本人初の司祭となってその生涯を全うする というのは志半ばで倒れた龍馬と比べると歴史の皮肉という べきものか悩むところですが、冒頭の定吉先生の言葉を 考えるとその後苦労して紆余曲折した人生であっても龍馬に 助けられ生まれ変わることが出来たからこそそのような 生き方が出来たのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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