|
テーマ:八重の桜(393)
カテゴリ:テレビの話
身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも
留置まし大和魂 今回の主役はタイトルからもわかるようにとにもかくにも 吉田松陰だったのですが、唐突に出てきたにも関わらず さっぱり説明もなかったので今回の大河ではどのように 捉えてるのかがわかりにくい「攘夷」という言葉が今回の ポイントだったと思います。 「攘夷」という言葉はその字の通り「夷を攘う」、つまり 夷狄(異民族)を打ち払うという意味なのですが、幕末に 叫ばれたこの「攘夷」という言葉には今回のエピソードで 描かれたように2通りの意味があったように思います。 その1つは攘夷といえば誰もがすぐに想像する、今回でも 異人さんを斬ったり、覚馬を襲ったりと、神国である日本 の土地や文化を夷狄や異国かぶれによって汚すこと許す まじという狂信的なまでのものです。 これから時代を経るに従い、こちらの攘夷が主流になる ことにより同じ日本人同士が血で血を洗うような争いを 繰り返すわけになるのですが、本来的な意味での攘夷と いうものは、欧米列強による清国支配を知った知識階級が 日本もそうならないよう外国を打ち払って防衛すべしと いうものだと思います。 吉田松陰はその生涯を賭けて攘夷を唱えたわけですが、 覚馬が言うように世界が見えていた松陰にとっての攘夷は 当然後者であり、老中暗殺未遂の暴走は幕府が天皇の勅許 を取らずに条約を結んだことによる直訴の手段だったの ではないでしょうか。 この時代はいまだ藩単位で国事を考える者が多かった中、 列強の襲来によりいちはやくひとつの国家というものに 目覚めることで天皇を中心として団結し、列強に対抗する べく動くしか日本が生き残る道はないと考える松陰には 朝廷をないがしろにした幕府のやり方に反感を覚えたよう に思います。 孟子の一節、「至誠にして動かざる者は未だ之有らざる なり」という言葉通り、高潔でいて苛烈に幕末の先駆けと なり殉じた吉田松陰。 彼の残した言葉や思想が、この後もいろいろな人に多くの 影響を与えて新しい時代を築いていったことはどれほど 先見の明があったかと思うと、これからの展開がとても 興味深いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.02.03 23:11:42
コメント(0) | コメントを書く
[テレビの話] カテゴリの最新記事
|