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テーマ:心のままに独り言(8837)
カテゴリ:テレビの話
今回の「八重の桜」を見ていてしみじみ思ったのは、後に
起こる会津の悲劇の引き金となったのは、孝明天皇の会津 藩…、というよりも容保公への信の厚さだったのではない でしょうか。 そもそも容保公をはじめ、会津藩士たちはこの京都守護職 の任を受けるということはどういうことかを誰もが理解 しており、当初は公方様上洛のために京都の治安を守る べく職務を遂行していたのですが。 容保公が天皇へ謁見するたびに、いつの間にか幕命と してよりも天皇をお守りするべく京都の平穏のために 浪士たちを一掃するという強硬手段への変化こそ、もう 引き返せない道を歩んたものと思います。 確かに現人神である天皇より目をかけられることは、雄藩 であろうとたかが一大名にとってはこの上なく名誉どころ かまさに天啓を授かったようなもので、この身に余る光栄 が容保公をして会津のお家第一どころか幕命第一でもなく 守護職を名目として天皇第一へ移行したことで、京の政争 に巻き込まれることになったのではないでしょうか。 孝明天皇が新しい時代にまで長生きしていれば…、後年 賊軍となった会津藩を孝明天皇がご覧になられたとしたら どう思し召されるか、かえすがえすもあまりにも早すぎる 崩御が残念でなりません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.03.13 16:48:40
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