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テーマ:八重の桜(393)
カテゴリ:テレビの話
歴史とは作られるものだというのが、錦の御旗に関しての
岩倉具視と大久保一蔵との会話でつくづく痛感しました。 この時代からある有名な言葉に、「勝てば官軍、負ければ 賊軍」というのがありますが、それを地で行く薩摩、ひい ては公家の暗躍。 僕の記憶が正しければ、諸外国の脅威に備えるため内戦を 避けて共和政治を行うことで対抗するというのが、薩摩の 思想だったと思うのですが、いろいろな思惑があるもので。 朝廷の敵として常に矢面に立ってきた長州藩と、裏で画策 することにより地盤を固めつつあった薩摩藩による討幕の 動きは、綱渡りながらも成功するかと思いきや。 ここで土佐藩による大政奉還の建白書が山内容堂から慶喜 へ提出されることで様相ががらりと変わるところが、この 一連の流れがどれほど際どい博打だったのか、ひしひしと した緊迫感が伝わってきます。 この建白書に対しての一会桑の会談はさておき、これまで 京であまり力を持ってなかった土佐がここに来て現れた だけでなく、助け舟を出すようなことをしたところがまた 面白いものです。 幕末期に討幕の運動として確かに土佐の人間も参加したり してはいますが、実際のところ薩長はそのほとんどが藩士 であったのに対して土佐だけは浪人ばかりで、藩士が逆に 浪人にすり寄ることで勝ち馬に乗ろうとしてその遅れを 取り戻すべく出した切り札がこの大政奉還。 つまりはこれほどまでに薩長が力を持ちながらも、明日は 誰が実権を握っているのかがわからないというのが、この 当時の京の姿であり、大局に流されることなくこれからの 身の振り方によっては会津にもまだ生き残る道は残されて いるため自らの意志で決断することが出来れば、この後の 悲劇は防げたのではないかと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.05.19 17:44:15
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